梨花洞・国民住宅

芸術の街大学路(テハンノ)から山へ山へ、駱山(ナクサン)公園へと向かうところに梨花洞(イファドン)があります。韓国では山の斜面にある古い町の美化プロジェクトとして、家賃が安いため住み始めたアーティストや行政の主導でアーティスティックな壁画や階段アートが多く描かれ、路上美術館として新しいコミュニティ作りが進んでいます。梨花洞は数多い路上美術館の町の中でも大変有名なところで、人気ドラマの撮影地にもなったため多くの観光客が訪れます。この日も平日の昼でしたが、中華圏からの観光客でにぎわっていました。

 

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フレンドリーな建築博士ランスキー先生から、梨花洞に日本の住宅営団のノウハウを元に建てられた集合住宅があると聞き、足を運びました。それがまさに梨花洞壁画村だったなんて!ずいぶん前に来たときは壁画や階段アートに気をとられて建物はまったく見ていなかったのです。

 

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こちらの集合住宅は国民住宅と呼ばれ、朝鮮戦争による避難民らの住宅難を解決するべく1958年に建てられた復興住宅の一つです。新興住宅、復興住宅などいろいろな名称があります。清涼里の復興住宅と同じ意図で建てられたものです。大韓住宅公社の前身である大韓住宅営団によって建てられました。近くに李承晩初代大統領の家「梨花荘(イファジャン)」があるので、戦後住宅造成のモデル地区としていち早く整備されたとも。

 

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ところで大韓住宅営団のさらに前身は、日本にならって1941年に設立された朝鮮住宅営団です。よって、日本的な要素が多く含まれた建物が建てられたといってもあながちまちがいではないかも。それでいて、まるまる日本家屋ぽくないのが面白い。

 

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1958~1961年の間に、牛耳洞(ウイドン)205戸、仏光洞(プルグァンドン)に102戸、北加佐洞(プッカジャドン)に123戸、そして梨花洞に104戸建てられたとのこと(住宅研究院のサイトより)。仏光洞や北加佐洞にはまだ残っているのでしょうか、家から比較的近いので調査に行ってみようと思います。ふふ。

 

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-国民住宅は資材と施工方法だけでなく、従来の単独住宅と比べて設計の面でも大きな変化があった。平面図を見るとダイニングキッチンという概念を導入し、住宅の生活空間を有効に活用できるよう考慮され、浴室を内部に配置してあるのがわかる。しかし食事・睡眠の分離はなく、台所も一段下がったかまどスタイルであった。1961年に踏十里(タプシムニ)に建てられた9坪の住宅は、1954年に建てられたものと比べると、狭い空間を効果的に使おうという意図が十分伝わってくる。1958年以降セメント生産が本格的に始まり、大韓住宅営団は日干しレンガ(フッビョクトルの訳ですが合ってるかな)のかわりに初めてセメントブロックを使用、貞陵(チョンヌン)に2階建て連立住宅が建設された。牛耳洞の国民住宅建設の際、普通のブロックより強固な(高温高圧蒸気養生された)ブロックが使われた。
住宅研究院のサイトより
 

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このように、ステキにリフォーム。調べたところどうやら開放されているようで?求む情報。中はどうなっているのでしょう、気になります。この家は国民住宅ではなく、日本家屋だという情報も。

 

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このように放置されてお化け屋敷になっているのもあります。

 

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よい子は近づかないように。

 

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繰り返しの美しさとでもいうのでしょうかね、好きです。同じものがいくつもいくつも並んでいるのを見るのが好きなんですね。

 

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梨花洞の路上美術館を見に行く機会がありましたら、ぜひ家も眺めてみてくださいね。

 



 

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