朝鮮ホテル・石鼓など

ウェスティン朝鮮の敷地内には、大韓帝国時代の遺物がいくつか残っていると申し上げましたが、今回はそれらをちょこちょこと簡単に紹介します。皇穹宇(ファングンウ)という八角形の三層(二階建て)の木造建築のすぐ近くにある丸い石3つ。さてこれはなんでしょう?   P4116505   こちらは石鼓(ソッコ)といい、太鼓のかたちをした石碑の一つです。朝鮮王朝の第26代の王様で大韓帝国の皇帝だった高宗(コジョン)の即位40年(朝鮮王だった時代も含めて)を記念してつくられました。   P4116506   作者は、独立門、貞洞第一教会、パコダ公園内の八角亭、そして皇穹宇(ファングンウ)を設計をした宮中建築家沈宜錫(シム・イソク、1854∼1924年)と言われていますが、正確なことはわかっていません。   20140414_182516   写真はこちらより(ダウムカフェで会員になった方だけが見られる記事です)。実はその昔この石鼓を収める石鼓殿(ソッコジョン)、または石鼓閣と呼ばれる建造物がありました。   20140422_172025   昔の写真を見ると、石鼓が横になっているのがわかります。写真は「宮闕(クングォル、宮廷・王宮のこと)の涙、100年の沈黙」という本の一部をキャプチャーしたものです。ちなみに国家記録院の3D復元の動画がこちらで見られますよ。で、この石鼓殿はどこにいってしまったかと言うと…   2011122017044476   写真はこちらより。左の人物は初代大統領の李承晩(イ・スンマン)です。左の建物は、今はとても緑豊かな公園になった奨忠壇(チャンチュンダン)にあった博文寺(パンムンサ)の一部。博文??現在の新羅ホテルの位置にあった伊藤博文を祀った寺です。   20140414_182930   同じシチュエーションで撮られた写真の右側の建造物、こちらが石鼓殿です。1935年に移築されて博文寺の鐘閣として使われたのでした。博文寺には、このほかにも王宮から移築した寺門もありました。うーーん、ひどいけれど現実。あの伊藤博文の寺ですから1945年以降に潰されて当然(!?)の建物でしたので、今はなんの跡もありません。   P4116513   お次はこちらの門。市庁の近くにいつのまにかできていた立派な門、なんでこんなところに門があるのかな?と不思議に思っていたのですが、今回の朝鮮ホテルと円丘壇の関連調べてて知ることができました。 こちらはもともと円丘壇の白雲門(ペグンモン)という門でした。朝鮮ホテルへのウェルカムゲートとして使われていた門です。こちらは1967年のウェスティン朝鮮の竣工にあたり、ある建材業者が買い取った後行方不明とされていましたが、2007年、牛耳洞(ウイドン)のグリーンパークホテルで、これまたウェルカムゲートとして使われているのがわかりました。   20140422_175114   写真はこちらより。上がグリーンパークホテルの頃、下が朝鮮ホテル時代の頃の様子です。ソウル市は2009年に移築を開始、そして現在に至ります。このように、高宗が清国から独立を宣言して皇帝に即位した儀式の場としての円丘壇はいろいろ大変な目に遭いました。それもまた歴史です。ホテルに行く機会があったら、ああそういうこともあったんだなと少し立ち止まってみるのも。    


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