大田にて

大田(テジョン)への散歩を企画、この間の土曜日に行ってきました。私を含めてみんなで7人。日ごろいろいろとお世話になっているチェ・イェソンさんも一緒です。ソウルから大田までは、KTXで約1時間、ムグンファ号で約2時間と気軽に行けるのも魅力です。   大田駅で、大田の歴史に詳しいブログ「大田にて」の管理人伊藤氏、そして大田の近代歴史に詳しい大田大学のイ・ヒジュン氏と合流しました。

伊藤氏の計らいで、午前中にイ・ヒジュン氏に蘇堤洞(ソジェドン)鉄道官舎を中心に、午後は大田歴史博物館の学芸員コ・ユンス氏に案内していただくことになりました。  

当日のコースは以下の通り

鉄道庁大田地域事務所財務課補給倉庫三号→蘇堤洞鉄道官舎→シンドカルグクス→旧木尺市場アンドル旧忠清南道庁庁舎→旧忠清南道知事官舎(旧忠清南庁官舎)→とんがり屋根の家→旧産業銀行大田支店→大興洞聖堂→大田創作センター    

 

 

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大田が都市として発展したのにはいろいろな要素がありますが、なんといっても京釜(キョンブ)線鉄道の敷設が一番大きな影響を与えました。1904年に鉄道関連で約180人の日本人が移住を開始、1905年に大田駅が完成。1910年の併合時には2,479名もの日本人が住むようになりました。朝鮮戦争のときには、約3週間臨時首都が置かれた過去も。現在は優秀な頭脳が集まる科学と教育の都市と呼ばれています。  

 

■鉄道庁大田地域事務所財務課補給倉庫三号

 

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(写真:右下段以外すべてイェソンさん提供)

大田駅のすぐ近く、駐車場の中にある木造の倉庫は、1956年に鉄道庁の必要物資の移動・保管するために建てられました。 大きな特徴は、長い板材を横にして、板の下端がそのすぐ下の板の上に重なるように張ってある『下見板張り』の外壁です。イ・ヒジュン氏が、韓国語でピヌル(うろこ)と表現しているのが印象的でした。

この下見板張りは韓国の伝統建築にはなく、日本から入ってきたものです(正確に言うと、イギリス→開拓期のアメリカ→日本)。朝鮮戦争後の1956年に、この(ある意味)日本的な下見板張りで、内部は柱が一本もないというのは興味を引きます。 三棟あったのですが、残っているのはこの一棟のみ。  

■蘇堤洞鉄道官舎

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(写真:右下段イェソンさん提供)

大田駅の東側に位置する蘇堤洞・三省(サムソン)洞には、鉄道関係の日本人が集まって暮らしていた鉄道官舎の一部が今でも残っています。1905年の大田駅の開業とともに、東官舎、南官舎、西官舎の3つのエリアに官舎が作られましたが、1920~1930年後半に建てられた東官舎の約40棟を見ることができます。去年来たときは気づかなかったのですが、一棟一棟に番号がかかれた木の板が張ってありました。アーティストが短期間住んで活動する『蘇堤洞42号』の中にも入ることができました。いやはやホントにありがたい!  

 

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近くを流れる大東川がまっすぐな理由や、風光明媚な蘇堤湖の埋め立てやその近くにあった神宮の話などをしていると、ご近所の方から「うちの屋上から街並みがよく見えるのでよかったら」と嬉しいオファー。上から眺めるのはホント楽しい! 

 

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お昼は駅近くのカルククスの老舗『シンドカルククス』にて。牛骨と煮干のある意味ダブルスープでまろやかなスープでおいしくいただきました。      

 

■旧木尺市場  

 

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フリーマーケットが開かれる旧木尺市場を急ぎ足で通り過ぎました。ツアーでいうなら車窓見学状態?近くにあるアンドルでひとやすみ。アートな壁画がまた増えていました。マイケル@木尺市場、ここの路地裏がとっても雰囲気いいので、また今度来なくては!

 

  ■旧忠清南道庁庁舎  

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(写真:最上段左イェソンさん提供)  

学芸員のコ・ユンス氏が颯爽と登場。非番だというのにわざわざ来てくださいましたよ、嗚呼、感謝!庁舎の歴史、建築様式、装飾などについて軽快なトークで、場の雰囲気は和やかに。けれどもあつさのせいでぼーっとしてたのは私だけではないはず?  

 

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(写真:イェソンさん提供)

大田歴史博物館として、展示内容も去年と比べてだいぶ充実している様子がうかがえました。道知事の部屋で韓国テイストな円卓を囲んでしばし休憩。道知事の部屋にはテラスがあって、そこからは大田駅までまっすぐ伸びる中央路が見えました。

中央路は、いわゆる日本人町のメインストリート。 眼下に広がる日本町を見ながら、時の官僚たちは何を思っていたのでしょう。大田に住んでいた日本人は、それぞれどんな流れで大田に来て、そこでどんな暮らしをしていたのでしょう。 そして、朝鮮戦争時に三週間臨時首都でもあった大田、そのとき、そこにいた人たちが見ていた風景は。

■旧忠清南道知事公館

 

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これまたスペシャルサプライズで、旧忠清南道知事公館の中を見学することができました。1930~40年代に建てられた高級官僚のための官舎街にあります。公館は1932年9月に完工、ところどころに丸い飾り窓があり、日本にある裕福な家庭の和洋折衷住宅といった趣。美しい曲線を家のあちこちで見ることができてそのたびにうっとりしてしまいました。2階には畳の部屋も。朝鮮戦争の時には、李承晩が臨時で住んでいたこともありました。混乱の時期、大田で一体何が起きたのか、知らないことが多すぎて。

 

しかしこのとき、 あっつさでのぼせたんだ 心は宙に浮いたままで ふらふら 体はもぬけの殻なんだ と歌いそうに

 

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■とんがり屋根の家

 

 

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1929年に建てられた西洋風の家は、そのかたちから「とんがり(屋根)の家」と呼ばれています。この時代、富裕層の間では日本家屋の一部に西洋風なものを取り入れるスタイルが流行っていて、それは外地でも流行っていたことを教えてくれる証人的な存在でもあります。鉄道局長が住んでいたといわれています。 とんがり屋根の家としましたが、突出した円の部分の屋根の円錐部分を「とんがり」と言っているのですね。とんがり帽子のようなイメージでしょうか、

このあたり、イ・ヒジュン氏の文章をよく読まねば。 こちらの家、近代建築遺産として保護されるべきところ、もともと家のあった一帯が再開発の対象になり、壊される運命に。あわてて移築を決定して今の大興洞(テフンドン)37-5に移されました。工事はほとんど終わっているようでした。今後どのようにその空間が活用されるのか、気になるところです。  

 

■大田女中講堂(旧大田公立高等女学校講堂)

 

 

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こちらで、参加予定だった大田在住のAlenaさんと合流。  

 

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すぐ近くにある大興洞聖堂

 

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専門的建築用語が続く韓国語の説明にたじたじだった方も。最後までついてきてくださってお礼を申し上げます。これに懲りずに機会があればぜひご参加を!  

今回建築散歩をしてみてわかったことは―ごくごく当たり前のことなのですが―同じものを見ていても人によって見方が違ったり、興味を持つところが違ったりして、その違いがとても楽しかったということです。 願わくば、韓国の人たちからもそんなふうに感じてもらえればと思うのです、ああ、そういう見方も考え方もあるんだなって。いいものであれよくないものであれ。
そして、日本の人たちにも、韓国にこんなものがあるんだ、こんな歴史があるんだと。古い建物と風景の中には、そこで生活していた人たちがいたということを、国家とか政治とかそのへんはおいといて、自分の目に見える範囲で、韓国の人たちと共有していけたら。  

 

1年前、“で、あなたは何が目的で大田の近代建築や遺構に興味を持ってるのですか” コ・ユンス氏の何気ない一言が正直とてもひっかかりました。
日本人と共有する場も必要なんでは?と(ブログで)毒を吐いたのも事実です。
建築への、風景への愛、いいよねこれ!そんな感覚をいろんな難しさを越えて共有できたら、今はそう思ってますし、きっと伝わってるはず!

最後長く語ってしまいましたね。 重ね重ね、今回お世話になった方々にお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。 トップページのキャプチャー写真もイェソンさん提供です、とてもなごやかな感じでお気に入りの一枚です。

今回のツアーで参考にしたオリジナルマップピンで留めたリンク集
よし、大田に行ってみようか!なあんて思われた方!こちらを参考にしてくださいね。


4 Comments
  1. りうめい様、いつも思うのですが、写真の陰影が美しいですね。
    楽しく気持ちのよい一日でした。りうめい様と参加者の方々に知的な刺激をもらいました。ふだん目で見ていても見えていない(脳みそが認識できていない)ものがたくさんあることを知りました。初めて入ったシンドカルグクスもおいしかったです!ありがとうございました。

    • eowjsさん

      eowjsは最初意味がわからなかったのですが、ハングルにしないまま打つと大田でこのようになることを最近知りました。なるほど!と思ったものです。
      こちらこそ、暑い中紳士的なふるまいでみなさんを引率していただき、本当に感謝しています。
      あ、大田ってこういうところなんだ、行ってみようかな、というコメントをあちこちからいただいて本当に嬉しく思っています。
      先生方の研究がますます充実しますよう、ソウルから祈っております。
      ありがとうございました。

    • 국장님
      아이고 제가 말씀 드리기엔 한국말 실력이 너무 부족합니다~그리고 그냥 역사에 관심이 있을 뿐 전문적인 지식도 없이 막 글 올리고 그렇습니다.
      소재동 철도관사나 순천철도 관사 차이점을 좀 생각 해보겠습니다.제가 사는 동네 근처에 있는 수색동에도 철도관사마을이 있었고 그 이야기도 관심 많습니다.
      수색도 철우회 같은 모임 있답니다.이야기를 듣고 싶고 그리고 또 순천에 가서 어르신들 이야기도 듣고 싶습니다.

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