富平・十井洞

富平(プピョン)の多田組旧三菱住宅などの位置をチェックするため地図を見ていました。東樹(トンス)駅から左下(南西)のほうへとマウスをカチカチしていたら、番地の数字が密集している地域に目がとまりました。平屋が並んでいるのかな?と調べると、そこは十井洞(シプチョンドン)ヨルムル壁画マウルと呼ばれるタルトンネ。キム・ソヒョン主演の映画「隠密に、偉大に(直訳です)」の撮影地として、特に中華圏のキム・ソヒョンファンの間ではよく知られている場所だということを知りました。

 

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地下鉄1号線(京仁線)の銅岩(トンアム)駅からバスに乗り十井洞をめざすも、初めて来るところはなかなか感覚がつかめないもの。街歩きが好きなのに迷うこともよくあり今回はおりるべき停留所を通過、だいぶ先のアパート群のところでようやく気づきました。

 

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予定より1時間遅れてようやくそれらしき場所に到着。建物がずらっと横に連なっている通りにパン屋が。

 

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小腹が空いたのでモンナニパン(不細工パン)を購入。すぐ近くの商店に休憩コーナーがあったのでいちご牛乳を買ってまずは休むことにしました。

 

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このパン、意外においしくて(残り物のパンを崩して牛乳入れて少し練ったのを揚げたリメイクパン?おそらくだいぶカロリーは高いでしょうね)びっくり。一つ1,000ウォンです。

 

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お店のおばちゃんは一人で花札の研究中。私の目の前には、おばちゃんの生活の品が雑然と置いてある棚。

 

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足元には生活感あふれるテリアが。トイレまで貸してもらってここでまったりしてしまいました。

 

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十井洞は、井戸(韓国語でウムル)が10個あったので十(韓国語でヨル)と井(ウムル)でヨルウムル呼ばれていたというのが通説ですが、町の中に大きな井戸があって水量が多く、冬でも凍ることなかったので熱(韓国語でヨル)の井戸でヨルウムルと呼ばれていたという説もあります(他にもいろいろな説があり)。1907年、大韓帝国の時代に塩の生産量を上げようと日本人技師が招かれ、中国(清国)から天日塩田による製塩方法を取り入れて韓国で初めて朱安(チュアン)に天日塩田の試験場が作られました。それが現在の十井1洞558-7あたりだといわれています。仁川では朱安をはじめ、南洞(ナムドン)、蘇来(ソレ)などで塩の生産が行われ、1970年代まで産業が栄えていたといいます。ちなみに十井洞は1940年に仁川府に編入、1945年の解放を迎えるまでは大島町と呼ばれていました。

 

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1960年代後半から開発によって住む場を失った人たちが不法に家を建てて暮らすようになり、70年代以降は輸出産業工業団地が塩田の跡地に入ったため労働者が安い家を求めて、そして工場の品物の売り買いをする人々が十井洞にやってきました。そうしてタルトンネが形成されていきました。

 

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2002年から壁画プロジェクトが始まり、まちのあちこちで壁画が見られるようになりました。壁画の案内図があります。壁画に関してはこちらのブログに詳細がありますので、興味のある方はどうぞ。

 

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これは一体?と驚きましたが、パックのりんごジュースです。え、これごみ??どういう流れかはわかりませんが、足で踏んで中身を出してるおじさん。横にもう一人のおじさんがいてまったりしていたので、なかなか大変そうな仕事ですね、なんて話かけてみたり。

 

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写真はこちらから。こちらの記事、十井洞について非常によくまとまっています。今回の記事作成にあたり大変参考になりました、感謝です。

さて、十井洞にまつわるお話は、塩田、タルトンネときてまだ続きます。1950年代からハンセン病患者が集まって暮らしていた「十井農場」と呼ばれる集落(定着村)があったそうです。1号線の線路に沿ってシントンアアパートというマンション群があるのですが、そこにかつて「成蹊園(ソンゲウォン)」というハンセン病患者の施設がありました。その施設に関わっていたのが詩人韓何雲(ハン・ハユン、1919~1975年)という人物。彼に関してはこちらに詳しいです。

彼は経歴を見ると大変なエリートで、裡里(イリ)農林学校卒業後は東京の成蹊高等学校に二年通っています。裡里(イリ)は全羅北道(チョルラプット)の益山(イクサン)市の旧名で、成蹊高等学校は戦前は超エリート高校。ハンセン病のために辛い人生を歩むことになりますが、詩作活動を通してハンセン病患者への差別する社会を批判しました。「青い鳥」「麦笛(小鹿島の中央公園に碑があるとのこと)」「全羅道への道-小鹿島(ソロット)へ行く道」などの詩が知られています。

「成蹊園(ソンゲウォン)」は彼の通った成蹊高等学校から?とても気になります。

十井洞の高いところから「仁川畜産物百貨店」なる建物も見えて非常に気になったのですが、また近いうちに行ってこようかと思います。行き方ですが地下鉄1号線(京仁線)の銅岩駅から緑色のバス592番(他にもバスはあります)、「十井コゲ(シプチョンコゲ)」下車、バス進行方向とは反対にちょっと戻って「ヨルウムルロ102キル」を探しましょう。
坂を上るように行くと家並みが見えてきます。「ヨルウムルロ102キル」「サンジョンノキル」がぶつかるところあたりが家並みが一番よい感じに見えます。コネストの地図をご参考に。

 

 



 

 

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