上岩洞・旧日本軍将校官舎

ソウル西部、上岩洞(サンアムドン)。2002年のワールドカップ開催以降急速に発展した開発地区です。デジタルメディア関連企業や韓国文化コンテンツセンター(近々移転の話も聞きますが…?)などの巨大なガラス張りの建物が並ぶDMC(デジタルメディアシティ)、ワールドカップ公園、ワールドカップパーク団地と呼ばれるアパート村があります。DMCはオフィスビルの空きが目立つのと、エリア内の各造成工事があまり進んでいないような印象を受けます。と個人的な感想を述べましたが、2015年までには一通り完成する予定、らしいです。こちら(PDFファイル)を参考。

 

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さて、ワールドカップパーク団地は12団地まであり(2014年7月現在)、外国人学校もあるため居住外国人も多く、教育熱も高めの住民が多く住むといいます。そんなワールドカップパーク団地の中に、2010年に復元された旧日本軍将校官舎があります。

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2005年11月、SH公社による宅地造成のための調査中に旧日本軍将校官舎を約22棟を確認。公社は文化財庁に報告しました。文化財庁は旧日本軍関連施設が韓国に残っているのは珍しい例で、当時住んでいた日本人の生活様式を知ることができる歴史的遺産と判断して保存を決定。しかし約三年もの時間と30億ウォン(一部の報道では13億ウォンとも)をかけ、アパート分譲価格に上乗せされたという説もあり、公園の中に旧日本軍関連施設復元とは!と周辺アパート住民の怒り爆発。文化財に登録しようとしている文化財庁・麻浦区庁(区役所)と、歴史問題系市民団体・住民団体の間でもめている状態です。

 

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官舎は、水色(スセク)駅に近いところにありました。1908年に開業した北朝鮮の新義州(シニジュ)へと続く京義線の駅の一つです。現在の首都圏電鉄京義線水色駅と、旧水色駅の駅名変更してできたデジタルメディアシティ駅についてのお話は省略します。
1930年代は水色駅は規模が大きく、駅周辺には鉄道官舎もあったそうです。この駅をベースに兵廠基地が作られ、日本軍官舎もできました。復元されたのはその一部と見られる官舎で、旧日本軍中尉級のものだと言われています。官舎群は1945年以降国防部に所有権が移り、1960年代に民間に払い下げられ、近くの蘭芝島(ナンジド)がゴミ処理場になっていたためそのまま残っていたとのことです。

 

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官舎自体は一般開放されておらず、定期的に清掃する人がやってきている状態。訪れたときはたまたま管理人のおじさんがまったり中。ハイテンションで近づき撮影意図を話すと(快くではないけれど)、中に入れてくれました。

 

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和風な玄関


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渡り廊下がのびて6畳くらいの部屋が横に並び、その仕切りは障子です。ザ・和風な作りに驚きを隠せません。けれども仕切りがこれだと冬は大きな空間を暖めることになるのではないかしら。寒くなかったのかなと心配になります。

 

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外には防空壕も。

 

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偶然なのかどうなのか、道路をはさんだ向かい側にはソウル日本人学校があります。この官舎の完成に合わせるかのように江南エリアから移転したとかなんとか、そして近所に朴正煕記念図書館もあるので上岩洞は親日の聖地だ、なんていう
人もいるそうです。それもなんだかなと思いますが、なんといっても旧日本軍関連の歴史遺産ですから拒絶反応が起きるのは仕方がありません。

 

“肯定的な歴史だけが歴史ではない、日本植民地時代の歴史の研究は韓国の歴史を理解する上で必要不可欠であり、当時住んでいた日本人に関する研究も必要”

“負の歴史遺産は西大門刑務所だけで十分。韓国国内に残る日本関連の近代文化遺産は全てなくすべき”

いろいろな意見があります。みなさんはどのように思われるでしょうか。ソウル日本人学校生徒の80%が竜山(ヨンサン)の二村洞(イーチョンドン)、15%が上岩洞、残りが他エリアから通学しています。本町と呼ばれた明洞(ミョンドン)も数は減ってはいるものの、日本人観光客の多いところです。

かつてソウルが京城と呼ばれた頃、もちろんいろいろなところに日本人はいたものの、100年以上の時を越えても日本人が多くいるところはだいだい同じという偶然。必然なのでしょうか、偶然なのでしょうか?

 


  

2 Comments
  1. その存在を知られることなくひっそりと隠れ、よくぞここまで生き抜いてきたものです。そして運よく(?)復元までされて。たまたまなのでしょうか?それともなにか大きな力が働いたのでしょうか?最近の傾向を考えると不思議ですね。
    このような建物は保存して欲しいと考えますが、それは昔のものの美しさを残したいという思いからです。手仕事の少しブレのある美しさは機械化されてしまった現代に作ることが難しいですから。

    • >ありりんさん

      ですよね、旧日本軍となるとなかなかですよね。

      しかし日本人学校に通わせている親御さん(上岩洞居住がメインとなりますが)でご存知の方はほぼいないかと思われます。

      下見板張りの木造平屋、昔の家の構造と生活様式、防空壕。

      戦争があったことを忘れてはいけないという意味で貴重だと思います。

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