全州・旧博多屋

全州に行ってきました。といっても3時間くらいの滞在でしたので、気になるお店と建物をあらかじめ調べておいてひたすら写真を撮るというあわただしいものでした。韓屋村から少々離れたところにある「旧博多屋」。蘇州街と呼ばれるちいさなチャイナタウンの中にあります。

ウェディング通りやチャイナタウンがあるところくらいにしか聞いておらず、その上それらしきお店がずらっと並んでいるわけではなかったので本当にこの通りであってるのかしら、と不安になっていると立派な建物が。

 

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登録文化財第173号に指定、1929年に商業施設として建てられました。1939年ごろには約6,000人いたという日本人の約70パーセントにあたる4,300人ほどが、この建物のある中央洞(チュンアンドン)、慶園洞(キョンウォンドン)、殿洞(ジョンドン)、高士洞(コサドン)に住んでいたそうです。中でも中央洞は大正町と呼ばれ、大正町通りというメインストリートがあり金融・商業・旅館施設が並んでいたそうです。

全州はその昔城郭都市だったのですね、豊南門(プンナムムン)がかっこいいなあと思っていたのですが、城郭の南門の外側で常設市場として発展したのが南部市場、日本人が門の西側から勢力をのばし最終的には城壁を壊して近代的な道路を作り、中央洞が繁華街になったということを今回初めて知りました。

 

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地図は韓国の文化財庁の報告書の一部をキャプチャーしたものです。1931年の地図です。今は低層の建物が並ぶ寂れた通りという印象がありますが、かつて繁華街だったという「匂い」が通りからただよってきます(もちろん統治時代に建てられたものかはわからない建物がほとんどですが)

例えばソウルの明洞の隣にある忠武路(チュンムロ)のような感じ。路(みち)の雰囲気というのでしょうか、うまく表現できないけれど…

 

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1910年代に建てられたのではという説もありますが、材料から判断して1920年代の後半ではないかと言われています。資料によれば、金内利吉という人がうどん屋をオープンさせたとのこと。当時は全州で最初で最大の日本料理屋の建物で、ホテルや銭湯などを経営していた「博多」という会社系列の料理屋さんだったそうです。うどん屋にしては立派なので(?)、おそらく他の日本料理も提供していたのではないでしょうか。和食レストラン?とんかつなどもあったのではないかなあ。

 

 

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 1940年からは南朝鮮電気株式会社の社屋に。

正面入口のトップにいなずまのようなレリーフが見えるのですが、まさに電気をあらわしているのではないかと推測されています。1943年には朝鮮電気株式会社の社屋に。ともあれ電気会社ゆえに雷のレリーフ、なんとなく納得でできますね。

 

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お年寄り3人組が建物の中に入っていったのですぐに追いかけ、わざわざこの建物を見るために日本(ソウル在住ですが)から来たのだ、と説明しました。

「この建物は統治時代に建てられたんだよ!」「ものすごくじょうぶでね!昔はここいらでは一番高い建物だったよ!」「だいぶ改造されちゃってるし、いろんな店が入っちゃってるけどね」と自慢するかのように答えてくれました。

 お年寄りの娯楽室のようです。

 

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中はとってもきれい。ここの窓枠もなくなってしまった、あそこの壁もきれいになってしまったと昔の様子をしるおじいさんは窓枠をさわりながら独りごとのようにつぶやいていました。

 

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花札や碁を打ったりして過ごすんだそうです。ゆっくり休んでいけば?といってくれましたが、順天行きの電車に乗り遅れないようにとこの後あわててタクシーに乗り全州駅をめざしました。

 

建物は1945年以降は銀行になったり、商業ビルになったり。何人も持ち主が変わり現在は、セマウル金庫という金融施設が所有しているそうです。すっかりうらぶれてしまった通りは、1960年代にはタバン(茶房、カフェ)が集まり芸術家たちが行き来したそうです。

 

 

 



 

 


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