九龍浦・旧日本人街 その2

旧九龍浦神社の公園にやってきました。ここからは港を見渡せます。
 

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九つの頭を持つ龍の像がありました。新しく作られたのでしょう。

 

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公園内には、九龍浦の発展に尽力した十河彌三郎の功労を称える石碑があります。橋本善吉が発起人代表となり、1944年に住民の自発的な募金で日本から取り寄せた石で碑を建てました。橋本は九龍浦近代歴史館として開放されている屋敷に住んでいた当時の実力者です。この石を運ぶときは、今と同じような階段ではなく軽い傾斜だったといいます。多くの日本人が力を合わせて縦7メートルの石を運び出しました。解放後はこのようにセメントで碑文を消したのですが、撤去までする必要はないだろうと村の長老たちがストップをかけて、このように残ったそうです。
 

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石を運んだ後に階段をつくり、両側に117個の石柱を立てて名前を刻みました。1945年以降は韓国人の名前を彫り日本人名を塗りこめて消したのですが、不思議なことに一つだけ日本人名が残っています。それが十河彌三郎と彫られた石柱です。  

 

 

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二度目に来るとこの前は見えていなかったものに目がいきますね。いろいろな遺物がありました。
 

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萱野與四郎と見えます。彼の父親だった萱野忠吉は、1880年代に香川県の漁師の中で初めて朝鮮の海へと出漁した一人として知られています。萱野與四郎は、1912年に九龍浦にやってきて鮮魚運搬業を経営しながら旅館や運搬会社代理店などを経営していたそうです。彼の経営していた旅館はどこにあったのでしょう。
   

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帝国在郷軍人会の塔の台。  
 

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塔建設中の写真。左に神社が見えます。この現在公園となっている旧九龍浦神社の敷地内には、神主だった方(鈴木さんだったかな、調べないと)のお母さんのお墓の石もそのまま残っているとか。
 
今回、浦項市から「浦項九龍浦で暮らした 韓国内の日本人村」という資料をいただきました。
『国家や民族主義に陥りやすい個人史を再度調べることは、大切な課題である。日本帝国主義による朝鮮半島の強制的占領で植民の痛みを持つ私たちは、日本帝国の統治理念や狂った戦争、武力侵略を憎むことはあっても、雑草のような強い個人の意思や自由、そして夢は共有すべき歴史であるということも悟った。』 という著者の言葉が印象的でした。

 
何がなんだかわからないままに近代の波が押し寄せて傍観するのみだった朝鮮の住民。日本の漁村であまりにも貧しくて仕方なく、もしくは成功の夢を抱いて海を渡った日本人。 それぞれの祭りの様子を遠くから眺めるだけだった関係。おみこしを担いで練り歩く日本の人々、旧盆に開かれる田畑見物を楽しむ朝鮮の人々はお互いに何を思ったでしょう。
 
魚が採れすぎて魚の油で滑ったという道を歩きながら、当時の人々は何を考えていたのでしょう。1945年8月、終戦により続々と帰国する日本の人々を眺めていた朝鮮の人々は何を考えていたのでしょう。 そんなので頭が一杯になってしまった、今回の旅でした。
 

 

 
 

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2 Comments
  1. こんにちは。いつも興味深く拝見しています。

    「九つの頭を持った龍」私が昨年訪れた時にはありませんでしだ。
    ただ、その時広場が工事中でしたので、その工事で設置したのかもしれませんね。

    浦項はいづれまた訪れたい街ですね。

  2. うえちさま
    お返事遅くなり大変失礼いたしました。
    おっしゃるとおり昨年は九の頭の龍は、なかったですよね。工事中の際に行かれたのですね。
    浦項、市場で今度はゆっくりしてみたいです。

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