水色洞・旧鉄道官舎

1906年から始まった京義(京城~新義州)線敷設と水色(スセッ)駅の建設に伴い、駅の近くに鉄道関係者の住む鉄道官舎が建てられました。現在も水色洞の北西部に数棟ではありますが残っています。
写真は2000年代の様子(見づらくてすみません、以降資料は本をスマホで撮ったものになります)。

 

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水色駅長、乗務事務所の所長、課長など比較的職級の高い人たちが山に近いほうに住み、一般労働者は線路に近いエリアに住んでいたといいます。

 

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左上:1970年 左下:1980年 右上:1991年 右下:2009年
1970年代は官舎の間に余裕があるのがわかります。庭が広かったのでしょう。1980年代になるとごちゃごちゃと家が増え、1990年代には低層集合住宅(ビラ)や大きな一軒家へと建て替えが進んでいったようです。

 

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地図の中で一番大きな家がこちら。他の一般的な鉄道官舎と同じで、平屋を真ん中で仕切り2世帯が暮らしていました。1910年に建てられたと推測されています。立派な門構えですがこれは後ほど作られた門です。出入口は北側にありました。

 

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中の様子です。ソウルですとなかなか田舎のように気軽に家の中を見せてくださいとは言いづらいですね。ちなみに今の主人は1984年から住んでいらっしゃるそうです。
以下、資料から。

 

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障子やふすまで仕切られていた『続き間』は木の板で仕切られ、写真を見るとわかりますが北側の玄関と廊下はダイニングキッチンにつくりかえてあります(なので細長いですね)

 

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石垣はおそらく1970年代くらいに作られたものではないかなと勝手に想像しています。

 

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豪華なお屋敷が並ぶ通りですが、空き家もありました。まっすぐとのびる道に、計画的に作られた鉄道官舎村の名残を感じることができます。

 

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鉄道官舎のすべてが1910年代に建てられたのではなく、おそらく段階的に規模が大きくなっていったのではないかと思っています(資料が少なくて推測ですみません)。

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こちらは倉庫として使われているようです。トラックに人が乗っているのに気がつかず写真を撮っていたら、何撮ってんの!とやや怒られ気味に声をかけられましたが、事情を説明すると理解してくださいました。

 

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真ん中にかつては入口があったのでしょうかね。

 

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きれいに整った階段は鉄道官舎が作られたときのものだと勝手に推測。

 

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 同じような階段が近くにもあったので・・・

 

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この地域は恩平(ウンピョン)ニュータウン開発地域に指定されているので、鉄道官舎もなくなる日は近いと思います。
恩平区は、人々の記憶、街の記憶を残そうと調査記録報告書を作りました。それが『水色、甑山』です。今回はこの報告書を参考にしました。路地裏や古い建物の写真、住民たちの写真がいっぱいです。報告書というよりはひとつの写真集ですね。ステキな、というと失礼かもしれませんが街を愛する人たちの明るい笑顔と、どうってことのない路地裏がほんとにイイ感じなのですよ。

※写真はしばらくスマホで失礼します。 

 

 

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