南大門・朝鮮神宮参道

南大門からヒルトンホテルへと向かうゆるやかな坂道が昔から気になっていました。

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南山公園へと向かう道は現在素月路(ソウォルロ)と呼ばれていますが、かつて南山公園にあった朝鮮神宮へと続く表参道(西参道)だったといいます。

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写真はこちらのブログより。1927年3月朝鮮総督府発行の『朝鮮神宮造営誌』から引用したものだと思います(こちら)。朝鮮神宮から見下ろした参道で、右側に南大門があります。

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最近、参道があったことを示す手すりのようなものがあるということを知り、さっそく行ってみました。韓国では解放後、神社は徹底的に破壊されたので、遺構というのはほとんど残っていません。それでも、ソウル市内の南山周辺は多くの日本人が住み、南山に複数の神社を建てたのでその遺構を何ヶ所かで見ることができます。そのことについてはこちらこちらをどうぞ。

 

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素月路の部分部分にこのように残っています。朝鮮神宮は1925年に完工したので同じときに整備されたものだとしたら、90年くらい経っているということになりますね。

 

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このまま南山公園方面へと坂を上っていくと、南山陸橋を渡ることになります。この陸橋は1961年に作られたものだそうです(写真は南山公園側から眺めたものです)

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1933年発行の『京城精密地図』の一部をキャプチャーしたものです。陸橋があるのはだいたい赤いマルで囲んだところになるかなと。この頃は下を走る退渓路(テゲロ)が存在しません。

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1930年代後半発行の『京城案内図』です。昭和通と見えるのが後の退渓路。朝鮮神宮への参道と交わっていないような。ウィキによれば、退渓路は1937年にソウル駅から、現在の新堂駅交差点までの長さ4キロの道で昭和通と名づけられたとあります。

退渓路の歴史はネットではこちら

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1953年の『ソウル都市計画街路網図』より。このときもソウル駅までのびていないように見えるのですが、退渓路の成り立ちについて詳しい方に聞いてみたいです。ちなみにネイバー地図で「退渓路」と検索すると、南山陸橋を渡ったちょっと先から始まっており、ソウル駅までではありません。誰か教えて~

20150524_152405南山陸橋を渡るとあるのが龍宮寺(ヨングンサ)。ここは金ピカ仏像がビルの上にさりげなくディスプレイされていて、個人的に気に入っている場所のひとつなのですが、壁がなんだか変です。

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後ろに回ってみてびっくり。手すりのようなもの、がありましたよ。橋からは階段で下りられるようになっていて、退渓路に行くことができます。

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『朝鮮神宮造営誌』の写真を拡大してみました。中央にあるのが階段ではないでしょうか。現存の階段とこの階段の位置はだいたい一致(現存のが当時のものか、それは違うかも?)するのではないかと思います。

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なんともないただの石なのですが、いろいろなことを教えてくれるような気がします。ちなみに素月路の途中から城郭が現われます。漢陽城郭と朝鮮神宮の関係も知っておくとさらに理解が深まるかもしれません。参道は城郭を利用して作られたものということでしょうか?


2 Comments
  1. 昔の昭和通は京城駅から直通ではありませんでした。朝鮮神宮参道を南大門から上ると両側に石作りの欄干がありましたが、終戦直後、両側のところどころ石欄干を破壊して下への近道を作りましたので 駅から南大門を経て昭和通に抜ける近道ができたのです。
    また、神宮の鳥居は1945年晩秋に アメリカ軍がダイナマイトを’仕掛けて破壊したので 日本人が退去前に轍去したのではありません。

    • Yul Rheeさん
      コメントありがとうございます。
      おっしゃるとおり、地図を見るに昔の昭和通は京城駅から直通ではないようで、気になっていましたが終戦直後に昭和通にぬける近道ができたのですね。

      神社の破壊は、米軍の手によるものもあるのですね。

      ご教示ありがとうございます。

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