南山・統監府・朝鮮総督府跡

1905年に締結された第二次日韓協約(乙巳條約)に基づいて、大日本帝国は大韓帝国から外交権を接収して保護下におき、漢城(ソウルのこと)の南山(ナムサン)に官庁を設置しました。それが統監府です。

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初代の統監は伊藤博文。場所は現在ソウルアニメーションセンターのあるところです。

 

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統監府があったことを示す碑だけがあります。この碑に朝鮮総督府跡とあるように、1910年10月の韓国併合により、統監府は大韓帝国政府の組織と統合して新しく朝鮮総督府が置かれました。1926年に景福宮(キョンボックン)の宮殿前に総督府庁舎が新築・移転されるまでは、統監府の建物を増築して使用していました。

 

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1910年発行『大日本帝国朝鮮写真帖 : 日韓併合紀念』よりキャプチャーしたものです。

 

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1907年(それにしても明治を西暦に言いかえるのが自分にはきつい笑)2月に完工。ちなみに大韓帝国皇帝の高宗が日本の保護国化は無効と訴えるために、オランダのハーグへ密使を派遣したのは1907年6月のこと。

 

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さてさて、建物自体がない場合は地図で確認をしてみましょう。1907年発行の『実測詳密 最新京城全図』より。併合前の地図で日本人の居留地としての南山山麓の様子がよく伝わってきます。黄金町(現在の乙支路)より南エリアには日本式の町名が、そして官公庁には日本の国旗の表示があります。1906年には日本人居留民は1万人を越えていたといいます。

地図には本願寺、和城台、大神宮、統監官邸と見えます。統監府の表記は見当たらないのですが、和城台に建てられただろうということで(こちらの論文の61ページ参照)そのあたりに赤丸をつけました。ちなみに大神宮は天照大神を祀るために1898年に作られたもので、1913年(1923年という記載の資料もあり、どっちだろう)には京城神社と名を変えています。

 

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見づらいですが、1910年発行の『京城市街全図』。総督府と総督官邸という表記が見えます。

 

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こちらは南山から撮った写真で、1930年代のものだそうです。左に大きな屋根の建物が見えますがこちらは東本願寺、後方に明洞聖堂が見えます。右側の松っぽい木の左側に総督府(統監府)の建物が見えます。道幅が広く見えますね。

 

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田村哲夫文庫絵ハガキ より。正面ですかね。こちらはすでに朝鮮総督府とあります。

 

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で、ですね。この統監府(総督府)跡があるにはあるんです。それがこの石垣。ちゃんとした資料は特に探してないのですが、この間韓国の近現代建築史に詳しいアン・チャンモ教授と一緒に歩く歴史探訪のようなのに参加しました。その時に教授が、この石垣が統監府の遺構として残っているには残っているんですよと言ってました。
10mくらい石垣が続いているので、このあたりを行く機会があれば。


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