公州・蚕種冷蔵庫

2015年7月にユネスコ世界文化遺産に登録された公山城(コンサンソン)は、公州が熊津(ウンジン)と呼ばれていた頃造られた城郭です。

 

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城郭にある4つの城門のうちのひとつである錦西楼(クムソル)から入場します。この日は登載を記念して入場料が無料でした。雨がふったり止んだりの不安定な天気の中、めざしたのがこの公山城内にある蚕種冷蔵庫です。


 

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思ったより上り下りがハードとは聞いていましたが、たしかにきつかったですね。錦西楼(クムソル)をくぐって左、光復楼(クァンボンヌ)方面へと城壁を登り、錦江を左に見て進むと…

 

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右手に蚕種冷蔵庫があります。アカシア(ニセアカシア?)の木に覆われた盛り土のようなところに鉄柵の扉。中は一体どうなっているのでしょうか。案内板には1915年、長さ11.67m、幅及び高さ2mとあります。
蚕種冷蔵庫は、忠清南道にある養蚕農家に蚕種(蚕の卵)を供給するために作られました。日本では明治時代後半から昭和初期にかけて、蚕種のふ化時期を調整するために、氷を入れて冷やしたり天然の冷風の吹き出る風穴や洞窟などを利用した蚕種冷蔵庫が普及しました。こちらの冷蔵庫も錦江の氷を地下室に入れて蚕種を保存したといいます。

 

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写真は『忠南蚕業史(2006)』から。錦江から冷蔵庫のための氷をとりだしているシーンだそうです。冷蔵庫は渓谷からの冷たい空気を受けやすいところにある、錦江から氷を持っていくのに便利であるようにと、その場所になったのだろうと推測されています。

 

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地図は『古蹟調査報告. 昭和2年度 第2冊 公州宋山里古墳調査報告』より。1927年ですね。右上に山城公園と見えます。

 

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地図を拡大。現在の光復楼あたりに供北楼とあり、蚕種貯蔵庫と見えます。地図の下を見ていくと蚕業伝習所、製糸場とあるのが見えます。保存施設・試験と研究施設・製糸施設とつながりましたね。

1910年併合後に朝鮮総督府は農業政策を打ち出し、米、綿、繭、蓄牛を重要農産物として奨励しました。もちろんすでに朝鮮でも蚕業は発達していたと思われますが、そのシステムはすっかり捨て去られて日本でできあがった生産・管理システムが丸ごとそっくりそのまま移されました。
1914年、公州に蚕業伝習所(蚕業技術員の養成機関)が設立され、その中に原蚕種製造所(良質な卵の生産と配布)が作られました。

 

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原蚕種製造所

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こちらは1919年の朝鮮蚕業令に基づいてつくられた蚕業取締所。蚕種の検査、桑の苗木取り扱い、蚕の病気の予防などの業務を行っていたそうです。

公州は蚕業関連の教育・行政機関があることで忠清南道の蚕業の中心地となり(生産量は瑞山についで2位だったそうです)、忠清南道初の蚕種冷蔵庫が山城公園内にできました。忠清南道は9万戸の農家に一戸あたり桑の木50株植えるように指示したといいます。

 

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地図の一部をまた拡大。錦江の近くに桑畑のマークがありますね。小さい地図なので他のエリアを知ることができないのが残念。ただ資料によりますと公州西部に蚕にちなんだ地名がいくつか残っているそうで、桑畑が広範囲であったのだろうと推測されています。

 

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冷蔵庫の入口は作られた当時、現在のアーチ型ではなく石を3つ積み上げた柱に石がのっており、向かって左側には忠清南道蚕種冷蔵庫、右側には大正4年(1915年)11月15日と彫ってありました。後ろにある藁葺き屋根は何でしょう??謎ですね。ちなみに入口部分の石の部分はバラバラになって、6個のうち5個が現在の入口近くにそのままあったそうです。現在も緑に覆われて見えないだけなのか、機会があったら見てみたいですね。おそらく字が彫ってあるのがそのままでしょうから。

 

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新聞記事はこちらより。1930年10月、公州で忠南蚕業振興大会が大々的に開かれたことを伝える新聞です。

蚕糸増産に伴い、新しい蚕種冷蔵庫が原蚕種製造所近くに作られました(建造年未詳)。公山城内の蚕種冷蔵庫は、いつまで使われていたのかわかっていないそうです。

2008年3月に蚕種冷蔵庫を調査した池元求(チ・ウォング)前・公州市庁学芸員(現在は天安市にいらっしゃいます)さんの報告によりますと、1915年以降一度は修築されている跡が認められること、冷蔵庫の石壁部分は何層にもなっていて間に土・木炭・自然石・コンクリートとなかなか複雑なつくりになっていることがわかったそうです。天井部にも石の列を確認し、蚕種冷蔵庫の設計図にはない構造もあったりしたので、さらなる調査が必要であると締めくくるとともに、公山城にかつてあったという氷庫(天然冷蔵庫)についても言及しています。

自然石の並ぶ壁の具合などから、もしかしてかつてあった氷庫関連施設をリサイクルして作った可能性もあるのでは、と。池元求氏は、日本統治時代の公州における蚕業の発達と歴史を教えてくれる貴重な文化遺産なので、きちんとした調査と保存を望んでいます。百済の歴史に隠れた公州の近代歴史にも目を向けるべきと。
十分な調査が必要に違いないのですが、今のところアカシアの葉に覆われたまま、蚕種冷蔵庫はただ静かに錦江の風を受けています。

 

 

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