光州・李章雨の家

光州・崔氏の家から徒歩約9分のところにある、李章雨(イ・ジャンウ)の家を簡単にご紹介します。こちらは、日本統治時代に土地長者だった鄭洛敎(チョン・ナッキョ)の息子である鄭秉好(チョン・ビョンホ)が住んでいた家です。1899年にアンチェ(女性と子どもが主に住むところ)とテムンガン(正門)が建てられ、東岡大学や東新工科大学などの設立者として知られる李章雨という人が1965年に家を購入して棟数も増えました。現在は李章雨の家として開放されています(家の前の案内板には1959年に李章雨がとありますね、どっちでしょう)。1989年にアンチェが光州市民俗資料第1号に指定されました。

全体を美しい写真で紹介しているブログがありますのでご参考にしてくださいね。

 

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屋根とよく整えられた中央の庭のスタイルに和の影響があるのだそうです。韓屋の場合は、軒先が空へ向かって大きく反りあがっているのが大きな特徴。李章雨の家はあまり反らずになだらかに下へと向いていて落ち着いた印象を受けます。

 

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二つ目の特徴はこのガラス戸。1899年建てられたときもガラス戸だったのでしょうか。雨や雪、風の日は雨戸なしでも大丈夫だったのかなあと気になります。

 

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楊林洞(ヤンリムドン)は、アメリカ宣教師が定住して近代化が進んでいったエリアです。東側に光州川(クァンジュチョン)が流れており、お金持ち崔氏の家の前にある道路は昔小川だったそうで、北から崔氏の家、崔昇孝の家、李章雨の家と小川に沿ってならぶ、風景の美しいところだったに違いありません。上の写真はお金持ち崔氏の家の前。

 

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井戸水をくみ上げるポンプがありましたよ。

 

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チャンドッテと呼ばれる味噌やしょうゆが入った甕を置いておく場所です。光が入ってしまって見えにくくなりました。こんなモダンなチャンドッテは初めて見ましたよ。

また訪れる機会があればゆっくりと見たいですね。韓屋に対する知識があれば見どころいっぱいなのかもしれません。ちょっと勉強しようかな。

 

 

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2 Comments
  1. 母の実家、市橋家は光州の大地主でした。母は光州高女卒です。光州の風景を少しでも見ることができ、感激しています。

    • 拙ブログにコメントいただき誠にありがとうございます。光州をきちんと訪れたのは去年の夏で、それまでは素通りするだけでした。
      この都市の歴史は宣教師や日本統治時代関連のみを少々聞きかじっている程度ですが、時間があればゆっくりと回ってみたい都市のひとつです。
      お母様のお話も大変気になります。吉原様はいろいろとご活躍されているお方と、恥ずかしながらインターネット検索で知った次第です。
      『降ろされた日の丸』を是非読んでみたいと思います。

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