仁川・旧朝鮮機械製作所社宅

仁川・花水洞(ファスドン)にやってきました。地下鉄1号線東仁川駅から歩いて約20分の海岸の近くにあります。ここに朝鮮機械製作所の社宅が残っています。

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外観はだいぶ変わっていますがこちらが社宅。  

 

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朝鮮機械製作所は、日本の横山工業所という会社の大陸進出という形で鉱山用機械製造工場として1937年に操業開始。二回の工場拡張を経て1942年からは船舶機械を製作、1943年には日本陸軍から潜水艦の製作を命じられ軍需工場となりました。作られた潜水艦はまるゆ3001号、正式名称は三式潜航輸送艇(さんしきせんこうゆそうてい)という名前だったそうです。詳しいことはこちらのブログでどうぞ。

 

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写真はこちらより。潜水艦製作で1300人近くの労働者が集まり、彼らのために簡易宿泊施設が作られました。それが万石洞のスラム街、アカサキ村と呼ばれた現在のケンイブリマウルだと写真をお借りしたサイトに説明があります。  

 

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仁川市立博物館の調査報告書第26集『官営住宅と社宅』によると、朝鮮機械製作所の敷地内に建てられたと思われる花水洞の社宅は単独住宅1棟、連立住宅12棟、勤労保国隊(朝鮮労働奉仕人員)合宿所1棟の計14棟。 現在(2015年12月)は単独住宅1棟、連立住宅4棟、合宿所が残っているとのこと。仁川(ジンセン)を想う会というブログに貴重な資料の写真があります。社宅のある現住所は花水洞8~10なのですが、後日、拙サイトをごらんになった『仁川を想う会』のブログ管理人からご連絡をいただき、手紙の住所に“花水町八”とあること、ご祖父の住んでいた社宅を探してこのあたりを撮影したことがあると教えてくださいました。
資料にある森本さんはブログ管理人のご祖父で、松坂町→花水町→万石町と社宅を引っ越されていたそうです。

 

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連立住宅は4棟現存しているそうです。単独住宅は壁で囲まれていて中は見えなかったため写真は撮りませんでした。  

 

 

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そしてこちらが勤労保国隊合宿所。老朽化ひどいのでしょう、外壁はがっちりとコンクリートで覆われてしまっています。この建物は見たとき心苦しかったですね。1940年代は一体何人の労働者が住んでいたことでしょう。といいますか、今もここに人が住んでいるのでしょうか。環境劣悪なのではないでしょうか。  

 

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人の気配はあるようでないようで。照明があるということは人が住んでいるのかもしれません。  

 

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上を見上げたらこんな感じ。  

 

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冬は寒いだろうなあ。建物の端に共同トイレと食堂があったとのこと。

 

-追記-
以下、仁川(ジンセン)を想う会の管理人である井上様からいただいたメールの一部です。
>仁川では終戦後、朝鮮人労働者の退職金支給に関して暴動が起きていたと『仁川引揚誌』に出ておりました。祖父が勤めていた朝鮮機械製作所は3百万円、芝浦製作所2百万円、朝鮮精鋼所40万円とありました。日本人幹部に対して監禁、暴行などもあったとあります。祖父も会社に連れて行かれたと母が幼心に覚えていました。祖父は当日風邪をひいて家にいたところ、社宅に人が呼びに来て、数日間もどって来なかったということです。

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