仁川・旧東洋紡績医務室

旧東洋紡績仁川工場です。仁川の万石洞(マンソットン)にあり、社宅を紹介する前に簡単にこちらを紹介したいと思います。

現在は東一紡績仁川工場として操業していますが国内長項(チャンハン)やベトナムに大部分の施設が移転したそうで、45名前後の職員がいるということです。

 

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後ろにあるのは万石ビーチ住公(大韓住宅公社の略、現在は韓国土地公社と韓国土地住宅公社が統合してLH公社というそうですね)アパート。こちらは工場(何の工場か忘れました)跡に建てられたものだそうです。

 

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写真はこちらから。UCLA大学教授の提供によるものです。

東洋紡績は渋沢栄一によって創立された、大阪紡績株式会社を母体として生まれた日本初の紡績会社です。仁川工場は1933年末に完工、1934年10月から本格的に操業開始しました。東洋紡績(現在は東洋紡、TOYOBO)に関してはこちらなどを参照ください。

 

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1932年5月14日『東亜日報』より。東洋紡績朝鮮分工場建設に関して、松島仁川府知事と会社との間で仮契約が成立し、仁川の北西にある万石町(岩手県所有)の土地および入海の整備工事をして工場を建てる、という内容になっています。

 

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1934年1月9日『東亜日報』より。13才から20才までの仁川在住、日本語可能のシングル女子の募集がかけられましたが人があまり集まらないため、22才まで条件を緩めるという内容です。

 

工場内の建物ですが、1950年9月の仁川上陸作戦の際に大部分が破壊されてしまったそうで、現在は朝鮮戦争後の建物があるということです。さて、今回ご紹介する医務室棟は、正確な建造年がわかりません。工場ができた当時はこのあたりは社宅があって、1947年前後に撮影した写真にもこの建物はなく、1958年の台帳に記録があるとのこと。

 

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建造年はわからないものの、ぱっと見ると日本的でもあり。

 

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近づいてみると、

 

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なんとなく中国のようなテイストを感じるようなないような。みなさんいかがですか?こういう飾り窓、永登浦(ヨンドゥンポ)の京城紡績(現在タイムズスクエアがあるところにあった紡績工場)の事務所棟(現在はリノベーションされてカフェになっています)にもあって、よく似ている気がします。あとで調べてみます。
資料によれば、建物は韓国の伝統建築様式(特に屋根)と洋風(レンガ使い)、そして和風(屋根の流れと出入口)もミックスされているとありました。
中に入って廊下があるのも日本家屋の特徴だそうで。

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中に入れました。工員が多いときは新人工員の教育室として(三千名前後いたそうですから)、人数が減ってくると医務室として使用されました。高水準の設備が整っていたとのことです。80年代は一日80名前後の治療をこなし、薬局もあったそうです。

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現在はどうなんでしょう。

こちらの紡績工場、後に東一紡績工場として操業し現在に至るわけですが、仁川の近代の労働運動史、産業史がぎゅーーっと凝縮されていて非常に興味深いです。ゆっくりと追っていけたらと思います。

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