仁川・旧東洋紡績社宅

旧東洋紡績の社宅は万石町の工場から少し離れた現在の北城洞3街(プクソンドンサムガ)20番地あたり、花房町にありました。立派な家なので幹部クラスの人たちが住んでいたのではないかなと。

 

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1934年に一戸建てとテラスハウスタイプ合わせて21世帯が住む11棟の建物が建てられ、そのうち4棟が残っています。
だいぶ修繕されていますね。

 



 

コネストの地図で工場から社宅まで徒歩でどれくらいかかるかと見たら、約21分。家は現在「自由公園」がある応峰山(ウンボンサン)の山麓、山の手ですね。結構な坂を上ります。花房町は、金弘集(李氏朝鮮末期の政治家)とやりとして漢城に日本公使館正式設置と仁川開港を朝鮮政府に認めさせた外交官花房義質の業績を記念してつけられた町名だそうです。

 

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あれっ、前と何か違う!外観がだいぶ変わりました。塀もぴかぴかになっている。

 

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2015年2月のときの様子。 外壁下見板貼りで窓もこのように大きかったのですが、ずいぶん姿が変わりました。中もだいぶ変わっているでしょう、お宅拝見してみたい。

 

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こちらもテラスハウスタイプで半分だけ、お隣は新しく家が建っています。屋根も外壁もきれいに修繕して住んでいますね。

 

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20160114_110926 仁川市立博物館調査報告第26集『官営住宅と社宅』より。左は1947年の航空写真、右は現在残っている家を表示したものです。
時間があれば『官営住宅と社宅』を持って仁川を回っておりますが、再開発でごそっと姿を消した営団住宅などもあり、時代の流れを感じます。こちらの東洋紡績の社宅だった家は屋根も外壁もお金をかけて修繕して住まわれているようで、姿は変わっても残っているというのは素晴らしいことだと思います。

 

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