大邱・北城路の気になる屋根

大邱(テグ)の北城路(プクソンノ)に行ってきました。大邱は数回訪れているものの、今回も昔の建物を見て回る時間がまったくなく、あわただしい旅行でした。それでも工具博物館をちらっと見て、古い建物をリノベーションしてオープンしたカフェの外観などをチェックできたのでよしとしましょう。

 

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前に比べてきれいなったような、ないような。

 

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リノベーションがあちこちで行われていました。こちらは長屋というのでしょうか、大変インパクトがありました。

 

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私よりちょっと年上な感じの女性がのれんをめくってこちらをちらりと見ていました。
ああ、そういうところだったのか。それにしても見事なボロ長屋です。

 

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そのボロ家の目の前には駐車場がありました。真ん中の屋根に何かを感じるので近づいてみると…

 

 

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大邱北城山岳会の事務所(?)らしきところでした。

 

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丸太梁、しっかりと木造屋根の骨組みが見えます。北城路1街、2街に残る建物の69%が日本統治時代に建てられたもの(日本統治時代期に形成された大邱邑城内の街路構成に関する研究、p8、2011年韓国住居学会)というのですから、おそらくその時代のものでしょう。

でですね、この屋根の使い方、ソウルの厚岩洞(フアムドン)の厚岩キル(三坂通り)の一本横にある通り沿いの駐車場とそっくりなのです。屋根の部分だけを利用したもので。

龍山中学校の校長先生の家だったらしいと、以前厚岩洞の路地裏隊長のランスキー先生こと金蘭基氏を訪ねたときに教えてくれました。駐車場を囲むコンクリート塀(こちらはあとで造られたものでしょう)の下の部分に低い石垣があるのですが、これは多分その時代のだろうかと(個人的な推測です、70年代のものかもということもあります)。そうだとすると相当広いんですよね。

 

 

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1940年ごろの三坂通り入口付近の地図。

 

 

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大邱のほうに戻ります。

たまたまいたアジョシ(おじさん)に聞くと、ここは統治時代からある建物で、高麗産婦人科という病院だったとのこと。そして目の前の家は日本人が住んでいたと。アジョシはその後
ボロ長屋の“ラブハウス”の中に入ってしまいました。

 

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北城ワールドカー駐車場というのをヒントにネイバーで検索してみました。確かにここですね。

 

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1935年、大邱本町小学生の卒業生が作った記憶の地図 で確認してみましょう。道の曲がり具合等で多分こちらでいいと思います。三中井百貨呉服店のあったあたりですね。

そうすると、地図からは“越智外科”だとわかります。
1930年代は病院だった。そうすると1945年以降ももしかすると病院として使われていたかもしれません。大邱で検索すると“高麗産婦人病院”はありました。その病院と関連があるかどうかはわからないですね。ちなみに向かい側の長屋っぽい建物の位置には“金屋食品”があったようです。

この、屋根の部分だけを活かして駐車場にするという例が大邱にもあるのですね。他の都市にもあるのでしょうか。個人的にとても興味があります。

大邱といえば、日本家屋と韓屋が同じ敷地内にあってとてもステキなイム・ジェアン外科医院があります。こちらも見に行きたいなあ。

 

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