牛耳洞・旧天道教本部と鳳凰閣

仁寺洞(インサドン)近く、慶雲洞(キョンウンドン)にある天道教中央大教堂の横に、本部の建物が2棟あったと中村與資平記念館別館のブログで知りました。建物の写真はブログで見ることができます。ブログに“1960年代末期に道路拡張と新館建設のために郊外(江北区ui洞)の教団の修道院敷地内に一棟が移築され、いまも研修施設として使用されています。もう一棟は撤去されたそうです”とあったので、さっそく行ってみることにしました。

自宅から江北(カンブッ)区の牛耳洞(ウイドン)までバスを乗り継いで約2時間。ソウル北部の牛耳洞は、北漢山(プッカンサン)登山口の一つとして知られています。登山コースまでの通りには登山グッズのお店はもちろん、マッコリでちょっと一杯、簡単な食事のとれるお店が軒を連ねています。

そんな通りの途中にあるのが、天道教本部の建物です。

 

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現在は天道教の聖地である鳳凰閣(ボンファンガッ)の敷地内にあります。

 

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1921年竣工、設計は中村與資平(なかむらよしへい)で赤レンガの2階建てです。中村與資平記念館別館のブログを見ていましたら、淑明女学校に正面がそっくりですね。

 

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内部は古い建物のにおいがしました。西日が差して明るい印象ではありましたが、装飾や構造で特に見るものはないようだったので裏に回りました。

 

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旧天道教本部の建物の裏に鳳凰閣があります。

 

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鳳凰閣(ボンファンガッ)は、天道教第3代教主で独立運動家の孫秉煕(ソン・ビョンヒ)が建てた修練施設です。天道教幹部らに天道教の教えを説き、独立運動のリーダー養成を目的としたもので1912年に竣工。韓屋(韓国の伝統家屋)です。思ったよりこぢんまりとした佇まい。孫秉煕はここで1910年から1913年まで49日間7回に分けて、天道教幹部483名の修練を行い、独立運動家養成に力を入れたそうです。当時、牛耳洞あたりはトラが出没するほど人里遠いところだったため、日本の警察の目を逃れたといいます。

 

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鳳凰閣は乙という漢字の形をした(モチーフにした)韓屋だそうです。天道教のシンボルは「弓」と「乙」という漢字を用いたもので、宇宙万物が絶えず循環を繰り返すと説く天道教の「宇宙弓乙思想」に基づいています。

 

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鳳凰閣の扁額は、唐の時代の名書家顔眞卿、懐素、そして北宋末期の名書家米芾のそれぞれの筆致を、独立運動家で書家だった呉世昌(オ・セチャン)が真似て書いたものです。大変凝っていますね。

 

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凝っているといえばこちらの軒丸瓦(スマクセ)と軒平瓦(アムマクセ)の部分。これみんな天道教のシンボルマークに統一されているのですよ、よく見たら。

 

おまけ

 

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なお、天道教本部の建物があった場所には、天道教新館である水雲会館(スウンフェグァン)が建っています。東学の創始者崔済愚(チェ・ジェウ)の号をつけたこの建物は、現代建築家鄭寅国(チョン・イングッ)の設計です。彼の設計による明洞の韓国電力社屋(旧京城電気株式会社社屋)の隣にある韓国電力別館(旧市民会館)や、市庁(シチョン)の朝陽商船(旧ソウル教育委員会庁舎)の建物、じっくり見ていると味わい深いです。

 

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孫秉煕は慶尚南道(キョンサンナムド)密陽(ミリャン)孫氏なのですね。密陽孫氏の韓屋村を訪れる機会がありました。雰囲気がよかったです。現在20棟ほどあって、そのうち6棟が文化財に指定されているそうです。みんな孫さんでした。

 

 

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