江陵・あるカルグクス屋さん

江原道(カンウォンド)東部、青い空と海が美しいことで知られる江陵(カンヌン)。世界無形文化遺産にも指定されている端午祭りを見ようとバスでやってきたこの日、高速道路は大変な混雑。予定より2時間以上の遅れで到着し、祭りの会場に向かう前にまずは腹ごしらえと訪れたのが「南門カルグクス」です。

 

 

DSC03441

 

DSC03444

 

祭り会場からそんなに離れていない、南大川(ナムデチョン)に沿って東西にのびる路地。こちらはかつて江陵邑城の城壁があったところで、併合後城壁は壊され道路になりました。現在は南門路(ナンムンノ)と呼ばれています。日本統治時代には大正町という町でした。

このあたりに興味を持つきっかけは江陵神社です。江陵大都護府官衙(中央の官吏らが江陵に来たときに寝泊りしたところ)や七事堂(チルサダン)といった高麗~朝鮮王朝時代の官公庁、江陵12神を祀り端午クッ(巫女の儀式)を行っていた大城惶祠(テソンファンサ)のあったところに神社や小学校、官公庁が作られました。
邑城の城壁を壊して道路に、官公庁をそのまま日本の官公庁として使うこと。併合後、あちこちで当たり前に行われていたことについていろいろと考えさせられます。知れば知るほど…もちろん統治者が変わって、使われない→荒れる→困る→じゃあ官公庁だったし官公庁か教育施設で使うか!という合理的な考えもわかるものの。

 

DSC03442

低い石垣と石の階段が目を引きます。平屋はいつ建てられたものかはよくわかりません。

 

DSC03443

 

こちらも。階段は比較的新しい感じがします。他のところも段差があって不思議でした。

 

DSC03445

 

南門路の一本後ろの路地へとむかう道はゆるやかな傾斜になっています。

 

DSC03449

 

インターネット検索で、こちらのカルグクス(韓国スタイルのうどん)屋の建物は以前旅館だったという情報を得ていました。階段を上がって中に入ると…

 

DSC03450

 

木の戸は海老茶色に塗ってあります。

 

DSC03460

 

縁側というのでしょうか、軒先で座って休めるようなところがありました。

 

DSC03461

 

中に入ると中央が台所、その左右の部屋でうどんを食べるような構造になっていました。全体的に天井が低く、少し圧迫感を覚えました。

 

DSC034381

 

うどんと、江原道でよく食べられているオンシミ(じゃがいもで作ったお団子を、野菜などを入れていりこでダシをとったスープで煮込んだもの)を注文。お店の方が作っている間に、許可をいただいて外観と内観を撮らせてもらえることになりました。お店の方は急な階段から2階に向かって、
「息子~なんか日本からここの建物見たいって来た人がいるんだけど、ちょと2階見せてもいいよね?」と大きな声で呼びかけ。

私が外から写真を撮っているのを2階から見ていたのでしょう、30代前半くらいでしょうか、ひょこっと顔を出して上から私たちを見下ろす息子さんは、なんと髪の毛がピンク色。

 

DSC03459

 

「どうぞどうぞ、好きに撮ってください、日本人が来て昔日本人が住んでいた日本の家ですかって聞かれたのは初めてです。」

というようなことを流暢な日本語でおっしゃるではありませんか。

 

DSC03455

 

なんでも幼い頃から日本のアニメやマンガが大好きで、自然に日本語を覚えたそう。日本語を使う機会がないから、と嬉しそうでした。(失礼ながら乱雑な)部屋全体はさすがに撮るの悪いなとためらっていると、汚い部屋をブログにアップしてもいいなんておっしゃる。

「そこのガラスのあるところ、押入れだったんですよ」

 

DSC034531

 

「僕がここに引っ越してきたのは小学校3、4年生のときだから、大体20年くらい前です。そのときから部屋がとても多いなと感じていました。ちょっと不便でした。旅館だったそうです。とても有名な旅館だったって。外の階段?あれも引っ越してきたときには、もうあったような気がします。このあたり日本の家がたくさんありましたが、今はだいぶ減ってあまり見ないですねえ。」

2階も天井がかなり低くく、おそらくあとで板を張ったのでしょう。彼の部屋の隣部屋は少し傾いていて、床も歪んでいました。

 

DSC034571

 

DSC03463

急な階段をおりて席へ。運ばれたカルグクスははじめからスープの色が赤いピリ辛のものでした。味付けがかなり控えめで人によっては物足りないと思う味かもしれません。自分にはちょうどいい麺の弾力とスープの塩気でした。お客さんが増えてくると、ひとりで切り盛りしているお母さんが息子さんに手伝うよう言いました。片手でお盆を持ち運ぶ姿を見て、彼の片方の腕が不自由なことをそのとき知ったのです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です