ソウル駅徒歩ツアー・青坡孔徳コース①

ソウル駅一帯を散策しながら町の文化、歴史に触れる“ソウル駅徒歩ツアー”というツアーが、2016年6月18日から10月1日まで行われています。

 

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現在全部で6コースあり、参加費は無料(2016年8月現在)。詳細はソウル市のホームページをご参考ください。なお、リンク先のサイトから予約をするには、会員登録(本人認証のために韓国の携帯電話番号が必要)が必要です。参加を希望する場合はツアーの担当者(アンニョンソウル・010-9445-1026)に直接連絡し、相談されるのがよいでしょう。

 

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今回は青坡孔徳(チョンパコンドッ、ちなみにツアーが始まった頃のコース名は青坡孝昌でした)コースに参加しました。内容は以下の通り。

ソウル駅→国立劇団→ケミスーパー→日本家屋→万里市場→培文高等学校→ソンウ理容院→孝昌公園(2016年7月のコース、現在はいくつか追加されています)

旧ソウル駅舎(文化駅ソウル284)前に集合。この日は参加者5名ほどでした。地図とその地図に貼るシール、うちわが配布されました。

 

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シールを貼っていくのは面白いアイディアですね。

 

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ソウル駅から眺めるこの景色が大好きです。この車がひっきりなしに通る青坡路がかつて蔓草川(マンチョチョン)という川で、とてもきれいな川だったということを知りました。近隣工場排水のため汚染がひどいのと交通渋滞緩和のため、1957年、道路になりました。日本統治時代にはキラキラと光る美しい川という意味で、旭川とも呼ばれていました。

 

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大京城府大観(1936年)より。西界洞(ソゲドン)は、日本統治時代につけられた西界町という名前そのままです(駅のすぐ後ろは1936年の地図では蓬莱町)。旭川があるのがわかりますね。それと宝莱練炭、京城鉄工場、朝鮮印刷会社などの工場も見えます。川の汚染は統治時代から始まったとガイドさんが言っていたような。

 

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地下鉄4・6号線三角地(サムガクチ)駅近くに、旭川の名前のついた高架(Aとピンがあるところ)があります。名前が残っているのですね。この蔓草川、ソウルナビの記事の“地下化工事の進む龍山線”で確認できます。何でここに川があるのかなと不思議だったのですが蔓草川だったのですね。当時は知りませんでした。

 

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ソウル市内の歴史文化ツアーを運営している会社の方がガイドさんです。まずは国立劇団からスタートしました。こちらの大変目立つ赤い建物群は、国立劇団。いろいろな演劇の公演が行われているところです。かつて国軍機務司令部(通称キムサ、軍の捜査情報機関)輸送隊があり、車両整備と軍車庫地として使われていました。軍関係の施設ということで周辺の建物は高さ制限を受けました。そのため周辺はあまり開発されておらず、古い建物が多く残っているそうです。

 

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国軍機務司令部は、旧軍事独裁政権時代に厳しい取り調べや拷問を行ったそうですが、ここでも拷問したそうで…

 

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国立劇団の脇道を進み、次はケミスーパーにやってきました。100年の歴史があるというお店、改築増築を重ねて現在の姿になったそうです。後ろに単層の韓屋があります。国内外からたくさんの観光客が来るそうです。

 

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右の方がお店を切り盛りするチャ・ヒョブンさん。2011年からお店を譲り受けて運営されていらっしゃるそうです。ここを訪れたお客さんとちょっとした会話を楽しみ、一緒に写真を撮って店の壁に飾るのがライフワークになっているそうです。お店は日本統治時代からある小さな商店だったこと、店の前の道は小川だったこと、向かいの家(お店の倉庫)に馬具が保管されていたことなどを話してくれました。なぜ馬具?
これは、中央と地方を効率的に結ぶため、朝鮮王朝時代陸路に設置された交通・通信組織のひとつ“駅站(高麗時代からあったそうです)”が青坡にあり、馬がいたから。その関連の遺物ではないかと。青坡駅についてはこちら(韓国語)をどうぞ。

 

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青坡は青い丘、つまり緑豊かな丘のことです。旭川の向こう側に1925年、近代を象徴する赤レンガの京城駅ができたときの衝撃は大きいものだったかと思います。馬から鉄道へ、そして緑豊かなこの地に工場が次々とできて、日本人が和洋折衷の家を建てて暮らし始めました。こちらの家は、かつて日本人が経営する仕出し弁当屋さんだったといいます。孔徳(コンドッ)にある刑務所にお弁当を届けていたとガイドさんが言っていたような気がするのですが、おそらく京城刑務所(西大門刑務所がいっぱいになり新たに作られた刑務所、1961年まで麻浦刑務所として使用されていたようです)のことでしょう。

建物とそこに住んでいる、かつて住んでいた人たちを中心に見ていて、点と点を結ぶ道路や川にあまり注目していませんでした。建物ができたときの周囲の様子を考える、想像すること、近代以前の様子を頭に入れておくこと。今回のツアーに参加して改めて気づくことができました。

長くなりました。②に続きます。

 

 

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