舒川・旧長項精錬所

忠清南道(チュンチョンナムド)の青陽(チョンヤン)、舒川(ソチョン)に行く機会がありました。バスツアーで一番最後に向かったのが、長項(チャンハン)の伎伐浦(キボルポ)海戦展望台。どういうところなのかまったく知りませんでした。そこは日本史の授業で習った百村江の戦いの場所でした。“ああ、韓国の左側の真ん中あたりで、当時日本も参戦した戦争”くらいの知識とはいうものの、その場所にまさか自分が来るとは。そして展望台へ向かう途中、偶然にも旧長項精錬所の煙突を眺めることになるとは。
※製錬、精錬の表記は拙ブログでは精錬で統一します。

 

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1918年に米の価格急騰に伴う暴動事件(米騒動)が日本各地で発生、その解決策のひとつとして朝鮮米の増産計画が朝鮮総督府によって行われ、土地改良および輸送インフラ整備が進められました。長項は1920年代から対日穀物輸出のための港として発展、1931年には鉄道の長項線が開通し、1936年精錬所が稼動し産業都市として栄えました。

 

 

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朝鮮中央日報社新聞1936年8月30日号より。日本統治時代の長項発展の歴史については『伸び行く長項(民衆時論社、1937年)』(ブラウザによっては表示されないこともあります)に詳しく書いてあります。

 

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朝鮮中央日報社新聞1934年11月13日号より。

 

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映画『夜を痛哭する(1961)』という映画のロケ地にもなったそうです。

 

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写真は1980年代の様子。

長項精錬所は1936年に操業開始、咸鏡南道興南精錬所、平安南道の鎮南浦精錬所とともに三大精錬所とも呼ばれていました。1945年に操業停止、1962年韓国鉱業精錬公社として再稼動、1979年に煙突再建築。生産量増大に伴う大気汚染がひどく社会問題となり、1989年に閉鎖されました。

 

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約120メートルの岩山に約90メートルの煙突が立っているので、とても高く見えます。工場跡地には金属加工の工場が入っているそうです。バスの車窓からですが、これは多分日本統治時代に建てられたものだろうなと思える建物がいくつかありました。資料によれば精錬、鉄道、港湾、米穀倉庫などの産業施設が結構残っていて、ほとんどが1930年代に建てられたものだそう。米穀倉庫の一部はリノベーションされてギャラリースペースとして活用されています。

 

 

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ぬっと立っている煙突はどこからでも見ることができます。かつて栄えた時代の墓標のようにも見えます。

 

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旧精錬所の向かい側は、長項松林森林浴場となっていて、松の林の中を散策できます。とても雰囲気のよいところです。

 

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しばらく進むと、伎伐浦(キボルポ)海戦展望台が。海岸に沿って高さ15メートル、長さ約250メートルのスカイウォークとなっています。

 

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大変眺めがよいですが、高所恐怖症の方はご注意を。煙突が見えますね。

 

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7世紀は大きな戦いの場として、20世紀中盤は鉱業の中心として。海と空はどこまでも広がり、静かに長項の歴史を教えてくれているようでした。


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