仁川・日蓮宗妙覚寺跡

再び神奈川大学非文字資料研究センターの仁川府海面埋立図昭和六年現在よりキャプチャーです(ぼけててすみません)。今回は仁川神社のあった東公園の北側、お寺が集まっていたところについてご紹介します。地図には明照寺、妙覚寺、西本願寺、華厳寺が見えます。このあたりは昔、寺町と呼ばれていました。

 

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『仁川府史(1933年)』にて、
・東本願寺 1901年 仁川府寺町8
・日蓮宗妙覚寺 1893年 仁川府寺町57
・浄土宗明照寺 1898年 仁川府寺町62 
・真言宗高野山遍照寺 1899年 仁川府宮町3丁目
・真宗本願寺派本瑞寺(西本願寺) 1907年 仁川府寺町40
・曹洞宗華厳寺 1909年 仁川府花町1-4番地

といった寺を確認することができます。

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こちらは仁川女子商業高校前にある家。増改築されているものの、家自体は大変古いのではないかと思います。二階に木造のベランダのある家を韓国ではほとんど見かけません。

 

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家と家の間に階段がありますね。朝早い撮影で影で見づらいのですが、階段の両脇に漢字が彫られた石柱が見えます。

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日蓮宗妙覚寺、西漸第二道場とあります。全羅北道群山(グンサン)東国寺の門の石柱(昭和の部分はえぐれていて見えません、今はどうなっているでしょう)のほかに、このようにはっきり残っているものをあまり(ほとんど?)見たことがないので驚きました。私が尊敬している仁川在住歯科医さんのブログのこちらの記事一枚目の写真が妙覚寺と紹介してあります。ただ鳥居があるのと右側の建物の様子から、寺ではないような気がするのですがいかがでしょうか。

 

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こちらの手書きの地図は仁川に住んでいた日本人によるもので、歯科医さんのブログから。何年度くらいのものなのか、そして出処について調べられればなと思います。妙覚寺へと続く階段が見えますね。妙覚寺と明照寺あたりに松都(ソンド)学園とありますが、現在の松都中学校です。

こちらの学校、もとは尹致昊(ユン・チホ、李氏朝鮮末期から活躍した政治家で日記が有名、1865~1945年)が開城(ケソン)に設立した韓英書院で、朝鮮戦争の際移転してきたという歴史があります。高校と中学校に分離し、高校は移転して現在に至るそうです。学校の隣にある駐車場もなんとなくいわくがありそうだなと思ったら、やはりあるようです…それはまた別の機会に。

 

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古い家の間に立派な石段。とても不思議な空間になっています。

 

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石柱を利用した飼育小屋(今は使われていないようです)、寺の一部は住民の日常にすっかり溶けこんでいるのでした。神社や寺、墓石の建材がこのように使われていることは珍しくありません。

 

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妙覚寺の石柱と階段だけがなぜ残っているのか、残されているのか。たまたまなのでしょうか?東本願寺や西本願寺の痕跡はまったくないのに。
ちなみに華厳寺は海光寺(ヘグァンサ)として現存しています。一部の建物は華厳寺当時のもので、統治時代に亡くなった日本人の位牌も納めてあるそうです。

近いうちにまた訪れたいエリアですね、おそらく韓国初のラムネこと炭酸水の工場だと言われる下田ラムネ工場(1905年)の建物もそのままだそうです。また、現在復元工事中の大仏ホテルを建てたと言われる堀久太郎の息子力太郎(大仏ホテルは力太郎が建てたとはなっています)の別荘が“ユーレー屋敷”と上記の手書き地図にあり、もちろん現在は別の建物が建っているでしょうけれど、どうなっているのか興味が尽きません。

 

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2 Comments
    • korean 様
      コメントありがとうございます。日本人が見る九竜浦でご訪問いただいたのですね。慶州もたくさんのこっていると聞いております。ゆっくり回ってみたいところのひとつです。

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