光州・旧松汀神社

韓国の南西、光州(クァンジュ)の玄関口である光州松汀(クァンジュソンジョン)駅に行くついでに、周辺に何か面白いものはないだろうかと検索していました。すると、金仙寺(クムソンサ)に関する記事が出てきました。日本統治時代の寺をそのまま寺として使っているのかなとツイッターでつぶやいたところ、海外の神社に詳しい方から松汀神社だと教えていただきました。

神社がそのままそっくり寺として使われていることに大変驚きました。韓国で神社の建物そのものが残っていることが大変珍しいからです。5.18自由公園を見学した後さっそく松汀公園へと向かいました。

 

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松汀公園は光州地下鉄松汀公園駅を出て大通りを少し入ったところにあります。この日は零下8度の寒さだというのに道に迷い、こんな路地に入ってしまいました。地図アプリを見ながらでも迷う自分です。暗渠だった小道だろうと思われるところを進みました。金鳳山(クムボンサン)の麓にある松汀公園は1945年以降に寺が入り、1975年に公園に指定。1989年に助成計画に基づいて整備、1993年に顕忠塔が建てられたそうです。

 

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なんとか公園入口へ、はじめから松汀図書館を目指せばよかったのですね、とほほ。

 

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社務所だったと思われる建物が寺務所になっていました。“金仙寺(クムソンサ)”と寺名を刻んだ漢字の扁額、縦書きのハングルが入口にあります。

 

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 神社建築については不勉強といいつつ、これは神社っぽいなあと。

 

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寺務所の横に桜の古木がありました。

 

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そしていよいよ拝殿へ。この木の並び具合はまさに神社だと思いませんか。数段の階段はおそらく当時のものでしょう。

 

 

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拝殿と思われる建物の手前に石灯篭の一部(?)が二つ左右対称に並び、奉燈”と刻まれています。

 

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後ろにまわるとこのような状態。昭和という元号とあと下の文字の一部もコンクリートで消されています。“四月十一日建”と見えるような。

 

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1941年発行の『大陸神社大観(大陸神道連盟)』より。創立は1922年11月、承認は1940年8月となっています。承認って何だろう?こちらのサイトを見ると昭和16(1941)年4月17日となっています。承認されて翌年の4月にできたということでしょうかね。

 

 

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垂木(たるき、屋根の裏に並ぶ角材)と韓国の瓦が交互に並んでいるという、なんとも不思議な組み合わせになっています。

 

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右側は護国護民永不滅かな?左はうーーん、省略!

 

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中に入りました。自動再生のお経が響き渡ります。

 

 

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おそらく参道だったところが駐車場の一部になっており、そこには忠魂碑などが建っています。古めの桜の木が面影を伝えているようです。

 

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図書館の裏手に回ると現在は工事中で通れない階段が現れました。

 

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写真はこちらから。手すりや階段脇にライオン(ヘチではなかった気がします)は後からつけられたのでしょうね。神社時代は何か他の動物の石像があったのでしょうかね。

 

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同じサイトから。これはどこからのアングルかはもうわからないですね~

 

 

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 “鉄道に生まれ鉄道育せんとする松汀里は今や全南に於て木浦につぐ第二の経済地として彼は海により是れは陸による最も新進の発展を遂げんとす、憶ふ胡莫荒涼の一寒村も長く茫霧に鎖されて前人未開の儘に放擲せらるる…(省略)羅潭の平野に於ける一寒村松汀里に内地人の居住せしは明治四三年二月福嶋縣人吉田清三氏の来りしを以って初めとす” -北村友一郞 編 『光州地方事情』 p147-150より一部

 

KTX等の発着駅である光州松汀駅は光州の中心から地下鉄で約30分くらいのところにあります。鉄道のことに疎いのでなぜ離れているのかな、移動が面倒だなあとぼんやりと思っていました。この駅を降りてすぐに羅州へと向かうバスを探して駅周辺を歩いていたとき、駅の後ろには大きな工場が見えてなんとなく殺伐とした空気を感じ、駅前の繁華街のほうはまったく自分の地図にはなくて足を運びませんでした。もちろんトッカルビ通りもピンク街もです。1910年に日本人が入植、1913年に慶全線松汀里駅ができて鉄道のために栄えていた場所だったということを知ったときから、街の景色が鮮やかに立体的に見えてきたのでした。ちょっと遅かったな。

次回は光州松汀駅付近のお話ができたらと思います。

 

 

 

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