光州・光州松汀駅前

光州松汀駅は光州の西部光山区に位置、KTX、湖南線、慶全線、光州線が通る駅です。1913年10月に松汀里駅として開業し、1998年に駅舎が新築竣工、2004年KTXの開業によって高速鉄道の運行が開始されました。

 

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2008年には地下鉄1号線と接続、2009年4月に現在の名称に改められました。駅舎は2015年2月に完工したものです。2015年4月からはソウルと龍山をつなぐKTX湖南線の停車駅として利用客が増加、ターミナル駅としてその存在感が大きくなっています。

 

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駅周辺は少しずつ再開発が進んでおり、駅前にある在来市場“メイル市場”が“1913松汀市場”としてリニューアル、光州の新しい観光スポットとして注目を集めています。

 

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駅の後ろには韓国最大のタイヤ工場である錦湖タイヤがあり、駅前は古くから栄えていたであろうこぢんまりとした商店街、そして旅館街があります。まずは駅を降りてすぐ左手に位置する旅館街を見てみましょう。こちらは200メートルほどの小道に低層の古い建物が多く並んでいて、年配の女性が数人立って客引きをしています。

 

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ソウル、大田などの地名の旅館、旅人宿が集まっています。浴室完備だそうです。

 

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この通りに行く前に地図を確認したのですが、下見板張りの古い木造の家が何棟かあって驚きました。

 

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庭が大変広いところもあり、コンクリート塀で囲まれています。この雰囲気、大田の蘇堤洞の鉄道官舎に似ているなあと。おそらく1920~1930年代に作られたのではないかと勝手に想像。

 

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こんな風にすっぽり覆われている建物もありました。巫堂と呼ばれる女性が祈祷したり占いをするところのようです。客引きのおばあさんがいる建物は、コンクリート造りなのか木造の建物をこのように改修したものなのかはわかりませんでした。客引きのおばあさんに話しかけました、この古い家はもしや統治時代のものではないでしょうかと。彼女はこのあたりに50年(!)住んでいるけれど興味ない、日本人なんて知らないとそっけなく答えました。まあ、客引きに話しかけるべきではないですね。

2016年1月の記事によると、旅館街では10ヶ所ほど営業を続けていて駅周辺のイメージを著しく損ねているとのことでした。

 

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駅前の大通りを一本入ったところは、いやゆるピンク街となっています。現在も営業しているのでしょうか?古い建物が散在しています。

 

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ダウムの地図よりキャプチャー。このあたりは松汀里1003番地という俗称で呼ばれるピンク街。駅前で見た目も悪いこと、建物の老朽化が激しいとのことで撤去されるためこのような囲いで覆われています。1913年に松汀里駅ができたのち、駅近くにはすぐに遊郭が作られ、光州の敷島遊郭と共に知られていたとのことですが、松汀里遊郭と現在のこのピンク街が関係があるのか知りたいところです。

 

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松汀里は栄山江(ヨンサンガン)の第一支流である黄龍江のすぐ近くにあり、洪水被害が大きかったので長い間見向きもされない土地だったそうです。1910年に日本人が入植、堤防を築いて1913年に慶全線松汀里駅が開業、そこから植民地的新興都市としての歴史が始まりました。

駅前、光山区庁近くの商店街は日本人町として栄えたのだろうなあという雰囲気です。黃龍江(ファンリョンガン)の仙岩船着場に栄山浦からの荷が集まり、鉄道網により松汀里駅から木浦へ、そして陸路で光州へと運び出されました。そのため仙岩船着場周辺に人と物が集まって市が立つようになりました。その市は松汀五日市と呼ばれ、現在も3と8のつく日は多くの人でにぎわいます。

 

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イメージは毎日申報1913年10月1日号、“(10月)1日、開通式を挙行する湖南線の松汀里駅の全景”とキャプションがあります。松汀里駅周辺には雑貨商や運送業を営む日本人が増え、近くには規模の大きい農場もできはじめ、郵便局、学校、派出所などが作られていきました。

 

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イメージは毎日申報1922年7月1日号より。1922年には松汀里と光州を結ぶ線路が開通しています。これは潭陽へと延びるローカル線で光州線と呼ばれていました。このときに光州駅ができたのですね。

 

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こちら1917年発行の『光州地方事情附松汀里観』(北村友一郎)には松汀里がどのように発展していったのが詳しく書かれています。ちなみに北村友一郎は横浜商業を卒業後生糸の仲買業をしていましたが、1912年に光州邑に渡って光州日報社を経営、1919年に廃業して京城へ、という経歴の持ち主です。

ところでこの記事を書くにあたり松汀里の古い地図を探しました。光州のほうは見つけやすいのですが、松汀里は自分の調査力の至らなさを感じました。光州の市立民俗博物館にでも行けばあるのかなあ。

 

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穀物倉庫だったのかしら、何かしら。

 

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商店街を歩いていると、それらしく見える古い建物があちこちにあることに気づきます。

 

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かつて松汀五日市のすぐ近くに牛市場がありました。こぢんまりした商店街の一画に松汀里トッカルビ(粗挽きハンバーグのようなものに甘辛いタレをつけた焼いたもの)通りがあり、専門店が20店舗ほど軒を連ねています、牛市場があったために自然発生したという説があります(お店は朝鮮戦争以降、牛市場は2000代初頭に廃止)。

 

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現在の地図を見ると、トッカルビ通り近くの郵便局、そして離れたところに松汀中学校があります。統治時代にも郵便局と学校がその場所にあったのではないかと思っています。区庁は面事務所があったところではないかな…

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