木浦・旧市街ぶらり散策

木浦(モッポ)は全羅南道の西南、務安半島の突端にある港湾都市です。朝鮮王朝時代は水軍の要衝地で木浦鎮(モッポジン)と呼ばれ、栄山江(ヨンサンガン)下流の寒村に過ぎませんでした。

 

 

1897年の開港後、外国人が多く住む租界または外国人居留地に指定されると埋立が進んで市街地が形成されました。図は木浦の外国人居留地地図、朝鮮総督府編「朝鮮土木事業誌(1937年)」の第9節木浦港(P756,757の間)より。

 

 

上記の地図を拡大したものです。泥地となっているのが見えますでしょうか、どんどん埋め立てられ市街地が形成されていきました。

 

 

1899年には諭達山(儒達山)の山麓部に日本領事館が完成。ロシアやイギリスなど他国と土地所有をめぐって競い合いますが、最終的に居留地の9割が日本人の所有になり、1910年に日韓併合、居留地制度が撤廃されました。1914年に木浦府が発足、日本人の激増とともに木浦は米穀と綿花の積出港として栄えました。

写真は日本領事館、木浦府庁として使用された建物です。この建物については後ほど。

 

 

木浦駅は1913年に開業しました。

 

 

1916年の地図です。こちらより。木浦駅の線路の両脇は海だったのですね。木浦駅周辺は米および木綿の積出港として整備され、木浦における日本人の人口は1935年には6万人を越えました。

 

さて、木浦は以前訪れたのは三年前の夏。

そのときも急ぎ足でまわったものの、なんとかウェブ記事を一本書きました。今回は全羅南道道庁に用事があって木浦に行くことになり、ついでに旧市街地を回りました。木浦駅を出て三鶴路を歩いていくと、古い雑居ビルの合間に日本家屋と思われる古い建物が並んでおり、人通りはまばら。旅館の看板の量に圧倒されていると、今度は乾物卸売り通りがあらわれ、何とも言えないにおいが鼻をつきました。

 

 

東明洞(トンミョンドン)は日本統治時代は松島町と呼ばれ、松島神社がありました。神社への階段が2007年に整備されこのようなかたちで残っています。

 

 

 

三鶴路18キル沿いにあるのが裡里荘旅人宿(イリジャンヨインスク)です。日本人の商家だった、あるいは旅館だったと言われています。以前訪れたときに、たまたま家の前を掃除していた家の方から話を伺うことができました。現在(2014年当時)住んでいる療養中のおばあさんが全羅北道(チョルラプット)益山(イクサン)出身で、「裡里荘旅人宿」をオープン。でも今はなにもやっていない、とのことでしたが、今も空き家なのでしょうか。

 

 

ここからは、歩いたときに撮った写真を数枚アップします。旧日本領事館を中心とした市街地エリアは埋め立てたあと碁盤の目のように整備され、通りに日本人が次々と建物をたてたところです。建物が堅牢だったこともあり、道路の拡張はほとんど進まなかったそうです。現在まで変わることなく開発も進んでいないので、時間が止まったようになっています。

 

 

 

 

こちらは日本人が通っていた木浦基督教の建物。

 

 

 

 

 

こちらは50~70年代でしょうか?壁には産婦人科とあるのに、現在は女の子が出てくるわいわいとお酒を飲むお店になっています。そのお店が営業しているのかもわからないような佇まいです。

 

 

 

何かの工場か倉庫だったと思います。ハワイ食堂、楽園茶房などとともに、年配のダンス社交場も入っていました。大音量のダンス歌謡曲が響いてきてびっくりしました。

 

 

 

 

 

メンテナンスされないままいろいろな店が入り、そして空き家になり朽ち果てるにまかせる、そういう建物がたくさんありました。廃業した旅館の様子を見ようと狭い路地に入って上を見上げると、韓国ではあんまり見られない窓の手すりがありました。

 

 

 

こちらは木製。

 

こちらは戸袋です。戸袋も韓国の住居ではまず見られないのではないかと。鎮海や群山でたくさん見かけました。ソウルでは、どこかで見たかしら?

 

 

写真を撮っているときりがありませんね。


木浦には古い建物をリノベーションしたおしゃれなカフェのようなものもありますし、廃れていくままの旧市街地に新しい息吹(まずはアート、若者の起業等)をもたらそうという動きはあるようです。収奪、収奪の暗い過去を持つ木浦というイメージから脱却し、群山のようにあまり深入りしないレトロなコンセプトで観光資源化を目指そう(もちろん辛く暗い過去は忘れないという強い意思の下)としているのは、案内標識や道路の整備などからも少し感じられました。ただ、木浦の旧市街の建物群は破壊的なまでに適当に扱われことが多く、思いもつかない増改築で変形し、見る者の意識を混乱させます。まるで料理研究家平野レミ先生のブロッコリーを使った料理のように手ごわい。

わあ、古い建物がそのままでいっぱい残ってる、昔の日本みたいとノスタルジーを求めて行くと火傷するといいますか、凍傷になるような。意識の凍傷をある意味楽しめる場、木浦。

手袋をしないとまだまだ寒い2月、木浦の旧市街を歩きながら、そんなことをふと思ったのでした。

 

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