さて、啓聖学校ヘンダーソン舘からの続きです。西門市場(ソムンシジャン)に向かう途中にこの建物を見つけて興奮しました。白いかまぼこに歯抜けの窓(笑)。このカーブはただものではないぞ!と近づいてみました。

4本の円柱とH字型の柱と出入り口の配置バランスが絶妙。1955年に啓聖学校開港50周年を記念して建てられた講堂で、約3,000人収容できるとのことです。1950年代、大邱ではなかなか見られなかった鉄筋コンクリートシェル構造の建物で、趙子庸(チョ・ジャヨン、 1926~2000)の設計によるものだそうです。

1971年に発足した韓国の民俗文化を研究する「民学会」という団体の中心人物として有名で、建築家としては鍾路(チョンノ)のYMCAビルディング、釜山救世軍本営ビルなどの設計にも関わったとの記述を見つけました。

写真はこちらより。なんだかとっても楽しそう。

サイドは赤レンガ。

さらに奥に進んで見えたきたのが啓聖教会。啓聖学校の第二代校長だったライナー宣教師が1913年に建てたもので、初代校長アダムス宣教師の親族にあたる在米のマクファーソンから資金援助を受けました。マクファーソン館とも呼ばれています。こぢんまりとした小さめの建物ですが、赤レンガの2階建て洋館に韓国伝統建築様式の屋根がのっている韓洋折衷様式で大変ユニーク。案内板を読んで驚いたのですが、基礎に大邱邑城(テグウプソン)の撤去したときに出た石やレンガが使われているとのこと。聞けば日本統治時代に建てられた建物にその資材が多く使われていたというのです。これは・・・まあリサイクルといえばそうなのですが、大変胸が痛いお話です。

啓聖教会の前にあるのは創立者アダムス宣教師の胸像。

設計と監督はアダムス及びライナー宣教師が担当。他の建物と同じように日本人と中国人の左官・大工も作業に携わっています。ガラスなどはアメリカから運んできたそうです。ステンドグラスが大変現代的なデザインですね。

左がマクファーソン館です。