2016大田にて・その2

大田にゆかりのある白石鉄二郎という人物について調べていたとき、伊藤氏が運営するブログ記事がヒットしました。

“大田繁栄会長だった白石鉄二郎が大田面長に就任し、長年の課題であった治水工事及び下水工事を施工することになった”

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こちらの小さな川は大東川といい、昭和の初めごろの治水工事で整備されたものです。そこにかかっているのが東光橋という小さな橋。この橋の名前について私が勘違いなコメントをしたとき、伊藤氏から大変ていねいな回答をいただきました。そのときからお言葉に甘えて、大田関連のことで伊藤氏にはお世話になりっぱなしです。

 

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橋の石柱の一部は削り取られてなんとかかれているかは正確にはわかりませんが、おそらく昭和二年(または三年?)十月だろうと。ちなみに全羅北道(チョルラプット)の群山(グンサン)にある東国寺の入口にある石柱の「昭和」の年号も削ってあります。橋を渡った先には新しくてきれいな高層マンション群。過去と未来の重なりに少しとまどいを覚えたり。

 

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漢南(ハンナム)大学キャンパス内にある宣教師村にやってきました。大学が位置する梧井洞(オジョンドン)は、大田駅から車で10分ほど北上するとあります。この日は入学試験があったらしく、キャンパス内はどことなく落ち着きがなくて緊張感に包まれていました。また、朝からどんよりとした雲が空を覆ったまま。冷たい雪交じりの雨の止む気配はありませんでした。いろいろなものを見られてテンションは高いのですが、この天気と午後に来る眠気、そして年齢による(!)疲労のせいでちょっと気分は下向きだったのですよね。

 

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宣教師村へ足を踏み入れると、風景が一変しました。あ!と叫びそうになりました(実際はギャーギャーうるさく騒いでいたと思います)。

少しくすんだ緑色の絨毯の上に赤や黄色、茶色の落ち葉が広がり、それだけでも十分な色彩の交わりだというのに、そこにひらひらと銀色の雪が舞い落ちて、秋と冬の美しい風景画が静かに重なっていたのです。

 

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晩秋の冷たい風に吹かれてカラカラと音を立てる枯葉、揺れる木々。そして力強くてシンプルな黒い瓦と白い窓枠のコントラストが美しい韓洋建築。すべてが完璧な風景と言ったら大げさでしょうか。本当に放心してしまったのです。それは夢のような体験でした。

 

 

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この間訪れたときは、生き生きとした緑の美しい季節。建物はどこか柔らかい表情をしていたように見えたのですよね。建物もまわりにあわせて少し佇まいを変えているのではないでしょうか。秋と冬の重なりの中で、宣教師の家は大変キリッとした表情をしていました。

 

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短いながらも濃厚な時間を過ごせたと思います。舞い落ちる雪がうまく写真におさまってくれたらもっとよかったのに。

 

 

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大田の近代文化遺産めぐりも終盤を迎えました。次に向かったのは大田刑務所望楼です。3.1運動以降の独立運動家を収監するために1919年に建てられた大田矯導所が、1923年に大田刑務所と名前が変わり、その後1939年に拡張、望楼が設置されました。1984年に塀と本館が撤去されてその場所にマンションが建ち、今はこの望楼と井戸だけが残っています。

 


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ダークな雰囲気に包まれた望楼は、“自由会館”というおそらく韓国自由総連盟(反共主義に基づく教育や諸活動の実施を目的としている韓国の右翼団体)の建物、出入国管理事務所、平和記念公園、マンション、ごく普通の飲食店などが並ぶ商店街などに囲まれて窮屈な状態で立っています。歴史の重さと日常生活の軽やかさ(?)が不協和音を奏でているような空間とでもいいましょうか、とにかく不思議というか異様というか。

 

 

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建築は周囲と一緒に見ることも大事だなあと改めて思いました。やはり現地を直接訪れないとですね。この空気感、不思議の一言です。

 

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どことなく暗い雰囲気ただようこぢんまりとした平和公園(天気も悪かったのでそう見えただけかもしれません)のちょっと奥のほうにあるのが井戸です。大田では朝鮮戦争(韓国戦争)勃発の年、1950年9月頃連合軍に終われた北の軍によって約1300人が虐殺されたそうです。その時にレンガなどと共に生きた人間を井戸に放って水死させたり、死体を投げ込んだりしたとのことで、写真を検索してたら嫌になったのでここでは載せません(涙)

平和公園には犠牲になった反共愛国者と一般市民の慰霊塔があります。

 

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日本統治時代、大田富士と呼ばれた小高い丘にあるのが大田テミ芸術創作センターです。図書館として使われていた建物をリノベーション、さまざまな分野のアーティストを呼んで一定期間住んで創作活動を行う支援や、展示、ワークショップを行っているそうです。2016年11月10日から27日まで“2016 地域リサーチプロジェクト結果報告展”という展示が開かれていて、最終日に滑り込みで簡単に見学することができました。

 

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‘蘇堤洞、そして大田刑務所に滲んだ大田の近代ストーリー’ というテーマで、三人のアーティストが見て感じた大田の近代を表現した作品の展示です。アーティストの一人、ペ・サンスンさんは京都在住、拙ブログに以前コメントを残してくれたこともあり、名前だけは存じ上げていました。大田でつながるとは思わなかったです。大田のことを調べてて拙ブログを見つけられたかもしれませんね。

 

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ペ・サンスンさんは大田に縁のある方ではありません。よく知らないところだったけれども蘇堤洞の鉄道官舎を見たときに、ここにしよう!と決めたそうです。鉄道官舎に戦前かつて住んでいた日本人の存在を知ったときから、彼女の作品作りは始まりました。住んでいた人を探すのは大変な作業。それと外国人女性アーティスト(彼女は日本語ペラペラです)がいきなりインタビューというのはやはり難しいものだったそうです。そこで声をかけたのが学芸員のコさんと、アンさん。共同調査の結果を展示で見ることはとてもありがたいことでした。

 

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話すと長くなるので(笑)、簡単に。大田に住んでいた日本人の活動の様子も少しながら知ることができました。伊藤氏が大変詳しいので、もっともっと聞きたかったですが、時間が!!

 

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鉄道官舎と在大田日本人の記憶の展示がソフトでどこか甘い雰囲気を持っているものだとしたら、ペ・サンスンさんの作品は辛口で大変対照的です。大きく引き伸ばした大田の古い地図。それは白と黒のコントラストがはっきりしたものです。白は日本人の大田、黒は韓国人(当時は韓国ではないですが)の大田。そのトンネルをたくさんの人形を乗せたおもちゃの汽車が走っています。大田は鉄道の敷設で発展した“作られた近代都市”のひとつです。新駅舎工事で騒がしい、かつての市の中心だった大田駅前の鉄道官舎エリアは、韓国でもなく日本でもない異界として時間が止まったまま存在しています。その異界を見たペ・サンスンさんの衝撃、大きかったと思います。


もっと詳しく彼女からお話聞きたかったのですが、時間切れ!

 

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伊藤氏がイ・ヒジュン先生と連絡を取ってくださり、アンさんや他の方々の待つ場所へ。老舗パン屋聖心堂でした。正確には聖心堂が運営するイタリアンレストランです。ああ、大田にいるのだなあ。

午後6時ちょっと過ぎ。予定通り大田の近代文化遺産めぐりは無事終了しました。伊藤さん、ここで改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

 

2 Comments

  1. eowjs
    2016-12-30

    今回の記事を読んで、りうめい様の目、純粋な心を通じて僕には見えていない、というか見ていても見えていなかったものを見せて頂いた気分です。勉強になりました。ありがとうございます。

    大田においでくださって感謝しています。町野様にもよろしくお伝え下さい。これからも韓国古建築散歩、楽しみにしています。

    どうぞよい新年をお迎え下さい。

    伊藤 拝

    返信
    1. liumeiuru
      2017-01-06

      伊藤さん

      去年は大変お世話になりました。すばらしい案内で大田のみたかったところを回ることができて本当に感謝しています。
      周囲はすばらしい方々ばかりで、自分の不勉強が意識され自分のやっていることに自信がもてなくなることがあるのですが、見えるものを自分なりに伝えていけたらと思っています。

      重ね重ねありがとうございました。

      返信

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