済州島・アルトゥル飛行場

松岳山(ソンアクサン)、馬羅島(マラド)、摹瑟浦(モスルポ)など人気観光地が集まるエリア、済州島(チェジュド)南西部の西帰浦(ソグィポ)市大静邑(テジョンウッ)。かつて日本海軍が造ったという飛行場があると本で読み、ずっと行きたいと思っていました。平坦な土地が広がるこのあたりは、飛行場を作るのに最適だったのでしょう。済州島の方言で“(空の)下にある原野”を意味するアルトゥル飛行場は、1920年代につくられました。その後は日中戦争に備えるため拡張工事が進められ、1938年からは日本からの航空練習隊が駐屯していました。

2017年の夏に行く機会に恵まれ、知人の車に乗って目的地へ向かいました。

 


 

道らしい道をよく見つけられずに土埃の中を進んでいくと、このような大変広いアスファルトの空き地に出ました。とりあえずこちらに車を止め、遠くに見えるコンクリートの遺物を目指して歩きます。周囲はキャベツやじゃがいも畑がどこまでも広がっていて大変のんびりとしています。

 


 

まずはこちら、広い広い畑に唐突に。管制塔と推測されています。この階段はちょっと危ないと思ったのでパス。このあたりはトレッキング・ハイキングコースとして整備された済州島オルレキルの第10コースに含まれており、観光客がちらほら。私たちより先に来ていたカップルは階段をのぼって写真撮ってました。

 


 

きちんと行き方を調べていなかったので、実は掩体壕が集まっているところを探すのに1時間くらいかかってしまいました。途中、農道を通る車に乗せてもらったり、畑を横切ったり。なんとか到着してあたりを見回すと、掩体壕だらけ。現在19個が残っているそうです。掩体壕は装備や物資、人員などを敵の攻撃から守るための施設で、英語ではバンカーと言います。こちらでは飛行機を格納しました。
 


 

こんなにたくさん残っているのは珍しいとのこと。戦争遺構として価値があると登録文化財第39号に指定されています。飛行場は韓国空軍の所有となって以降、地元の人が土地を借りる形で耕作しています。はじめ掩体壕が邪魔なので撤去しようとしたものの、あまりの頑丈さで諦めたそうです。いくつかの掩体壕は、農具や肥料を保管する倉庫として利用されています。
 

 
高さ約3メートル、幅約20メートル、奥行き約10メートル。 結構大きいです。地元の人たちは日本軍に土地を奪われ、そしてこのコンクリートの構造物を作る労働力として利用されました。コンクリートをこんなところまでどう運んできたのか、労働しながら見た風景は、なんて考えてしまいます。
 

 
掩体壕のひとつにこのような零戦をイメージしたオブジェが展示してあります(※ここから零戦は出撃していません)。済州島の悲しい歴史を記憶するためにアーティストのパク・キョンフン、カン・ムンソクさんらがつくったものです。済州島旅行の記念として、このオブジェの前で写真を撮るのが観光客も多いそうです。
 
 
というわけで、わたしたちも撮りました。車を出してくれた知人は韓国人、一緒にうつっているのは台湾出身の友人。知人は、日本人と一緒に済州島に残る日本軍関係の遺構を見るのはなんとも言えない気分、でも未来に向けていろいろ知ることはいいことだと正直な感想。反対に台湾出身の友人は日台の歴史については大変ニュートラルといいますか、あまり関心がないといいますか、敢えて私の前では言わないのかケロッとしています。ただ、この三人でここを訪れたことは自分にとって意味があるような気がします。
 
 
こちらは飛行機をしまっておくところとは別タイプのもの。
 
 


電気をつけないと真っ暗です。かなり広くて驚きました。ちなみにこちらの写真は、済州島自然遺産ユネスコセンターが行った済州島ダークツーリズムで訪れたときのもの。個人で来たときは中に入るのはやめておいたほうがいいでしょう。
 

 
2017年9月から済州ビエンナーレとしてこのようなイベントが開かれたそうです。道知事が作品を引き続き展示できるようにしたいとコメントがありますので、もしかしたら作品が残っているかもしれませんね。それにしてもどこまでも広がる風景が美しすぎて、やりきれない。
 

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