2018年旧正月、忠武路

日本の気分でお正月を迎えた後、韓国の旧正月を迎えるのがいつまでたっても慣れないです。とはいえ、旧正月はだいたい忠武路(チュンムロ)にある南山韓屋村に行って、にぎやかな雰囲気を楽しみます。その前に、ちょっと散歩してくると家族に伝え向かったのは、日本統治時代に本町通りと呼ばれていた通り。

 

本町通りは日本統治時代には日本人街のメインストリートと言われ、大変栄えていた通りです。本町通りを歩くことを、銀ぶらにならって“本ぶら”とも言っていたそうです。現在の新世界デパート本店近くのポストタワー(郵便局)の脇から明洞、忠武路、東大門歴史文化公園駅のほうまで、鍾路、乙支路(黄金町通)、退渓路(昭和通)と並行してのびていました。

 


 

当時の道幅とほぼ変わっていないのが面白いですね。ここが本当にメインストリートだったのかと驚くばかり。現在は印刷関連零細企業、カメラ専門店、町工場がぎゅっと集まったオールドタウンというイメージが強いです。

 


 

旧正月当日、お店はどこもお休み。キリッとした冬の空の下、寒さが緩んだ穏やかな日に静まり返った通りを歩くの本当に楽しいですね。

 


 

仁峴(イニョン)市場。水槽のモーター音と水の音だけが響き、通る人は自分一人。冬の日ざしが射し込んで、狭く暗い通りの表情を豊かにしてくれるようです。

 


 

私のソウル暮らしは、忠武路エリアから始まりました。今から約17年前、奨忠洞(チャンチュンドン)のヴィラの三階に、韓国人女性二人と一緒に住んでいました。ソウルの喧騒と韓国語を話すのも聞くのも苦痛になり、ソウルから出て行くのがいいのかなと考えてばかりの暗い日々、奨忠洞から鍾路のYMCAに週五回行くことにしました。中国語の授業を受けにです。ただ変化がほしかったのかもしれませんね。そんなことって誰にでもよくあることです。

この仁峴(イニョン)市場を通り、世運商街ビル群に沿って歩き、たまにはでたらめに乙支路の工具街を通って鍾路まで。お金はないけれど時間はあったので、その時間をつぶすためにバスや地下鉄に乗らずひたすら歩いていました。それが当時の生きている意味となりましたね(笑)

 


 

あのときは上を眺めることも、下から見下ろすことも、心地よい道幅も、ゆるやかな傾斜の魅力も知らなかったですし、知ろうとも思わなかったです。ソウルの風景に魅力を感じる自分は、まだそこにはいませんでした。夜の南山タワーは窓から見えて、ソウルにいるんだなあと心の中にろうそくのように立っていたけれど。

もったいないなあ。

17年後の自分が上を見上げ、今日見つけたのは木の電柱。ソウルではちょっと珍しい存在なのですよ。

 


 

年をとるのも悪くないですね。

 

さて、本日歩いたあたり、“本2郵便所”の左側にある道がマルンネ路6キル、仁峴(イニョン)市場です。昔の地図から判断すると、マルンネ路6キルは少なくとも1936年にはまだなかったようですね。“本2郵便所”のとなりの“貴生堂薬房”の位置に、忠4治安センターという派出所のような建物が現在あります。

 


 

清渓川文化館『異邦人の瞬間キャッチ 京城1930』よりキャプチャー

 


 


『大京城精圖(1936年)』をキャプチャー
赤い線が仁峴(イニョン)市場、ピンクの線が当時あった道、今は途切れ途切れになっています。もちろん世運商街の土台となる疎開用の空き地部分は、1940年以降にできますから地図にはありません(確か…後ほど調べておきます)。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です