済州島・ダークツアーに参加する・その2

済州島・ダークツアーに参加する・その1 の続きです。済州島世界自然遺産センター(済州島の世界自然遺産の管理と保護を行う機関)主催のツアーに参加したときの感想等を書いております。

 



 

◼️アルトゥル飛行場跡

松岳山(ソンアクサン)、馬羅島(マラド)、摹瑟浦(モスルポ)など人気観光地が集まるエリア、済州島(チェジュド)南西部の西帰浦(ソグィポ)市大静邑(テジョンウッ)にある飛行場跡です。済州島の方言で“(空の)下にある原野”を意味するアルトゥル飛行場は1920年代につくられました。その後は日中戦争に備えるため拡張工事が進められ、1938年からは日本からの航空練習隊が駐屯していました。現在も装備や物資、人員などを敵の攻撃から守るための施設である掩体壕(バンカー)がたくさん残っています。くわしくはこちらをよろしければご覧ください。

 



 

登録文化財第312号に指定されている地下バンカーは、南北方向に幅約20メートル、長さ約30メートルのコンクリート造り。以前は個人で訪れて電気をつけることはせずに入口だけを見たのですが、今回は中に入ることができました。大変しっかりとできていて驚くのみです。司令部、通信室としてい使われていたと推測されています。

1945年3月20日、日本軍は太平洋戦争において「決号作戦」と呼ばれる防衛作戦を立案し本土決戦に備えようとしました(敗戦を迎えたため決行はされずに終わりました)。作戦は決1号から決7号(順に北海道、東北部、関東、東海、関西・四国、九州そして済州島)まであり、軍は済州島を本土決戦の防壁と考えたようです。

 

1945年4月に編成された17方面軍所属第58軍は、済州島に配備されました。その数は6万人、7万5千人(資料によって数字が異なりますね)と言われています。島全体を要塞と考え、城山日出峰、松岳山、西帰浦三梅峰、カマオルム、沙羅峰、別刀峰などに次々と地下壕が造られました。済州島には日本軍の遺構が本当にたくさん残っています。

 



 

畑の中にたくさん掩体壕(バンカー)があります。済州島を訪れたら一度は訪れてほしい場所のひとつです。

 



 

訪れたこの時期、百日紅の花が満開でした。

 



 

◼️ソサルオルム4・3事件虐殺現場(マンベンディ英霊犠牲者碑)
ベンディとは火山島にある独特なもので、玄武岩の上に草が生えてできた草原のことを意味するそうです。ここはソサオルムの近くにあり、1950年8月から約2ヶ月に渡って行われた民間人虐殺の犠牲者集団墓地として知られています。近隣住民63人が犠牲になり、別の地域からうつされた191人の犠牲者が眠っています。日本当時時代に弾薬庫があったと資料にはあります。

 



 

近くに2001年慰霊碑が建てられました。

 

 




◼️海兵3・4期生訓練所、旧陸軍第一訓練所指揮部

一番最後に訪れたのは、韓国軍施設内にある二つの建物です。現役の軍人さんが案内してくれました。こちらの建物は登録文化財第409号に指定されており、日本軍の建物で海軍が駐屯していたそうです。1945年以降も韓国陸軍第一訓練所指揮部として使われたとのことですが、文化財庁のサイトを見てもいつ建てられたのかはのってないですね。

 



 

済州島らしい外観と正面入口を軸にした左右対称、大変シンプルな建物です。ここで朝鮮戦争の時は多くの兵が訓練を受けたと言います。

 



 

こちらも日本軍の建物が朝鮮戦争時に仁川上陸作戦に参戦した(伝説の舞台とも言われる)海兵隊3、4期生が訓練したところだそうです。
軍組織と朝鮮戦争の歴史勉強はこれからの課題とし(汗)、ここまでの説明とします。ここで訓練を受けた兵は3000人いるそうです。

80年代までは周辺に兵舎がたくさんあったそうですが、ほとんどなくなったそうです。この二棟は歴史を伝えるため、一部分が歴史展示コーナーになっており、朝鮮戦争関連の展示を見ることができます。

ツアーを終え、日本軍の要塞として、朝鮮戦争の混乱そして4・3事件の舞台としての済州島の素顔を少し見ることができて大変有意義な時間でした。
次行く時は東コースを巡りたいと思います。


 

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