慶山・コバルト鉱山その2

慶山・コバルト鉱山その1の続きです。
苔むしたトンネルのようなところを抜けると、このような風景が広がっていました(上の写真は下から見上げた様子です)。山の斜面にコンクリートの構造物が階段状に並んでいます。この中に選別のための水を溜めていたと思われます。日本では兵庫県朝来市にある、「鉱石の道」として産業遺産にも登録されている神子畑選鉱場などが有名ですね。

 


 
韓国ですと、京畿道の光明(クァンミョン)や慶尚北道の英陽(ヨンヤン、登録文化財第255号指定)、江原道の寧越(ヨンウォル)などにも残っていますね。光明の選鉱場は気がつかなかったですね、近いうち訪れたいと思っています。

 

 
「四角いところに落ちて怪我することも多いので気をつけておりて来てくださいね」と声がけが。高さは2.5メートルくらいありそうです。

 

 

どんなふうに使われていたのかわかれば、もっと面白く見ることができるのでしょうね、

 

 
訪れたのはまだ残り雪もあちこちに見える1月の中旬。冬の低い日差しが選鉱場を照らしていました。

 
水はどこから確保していたのでしょうね。

 


 

 


 

一通りコバルト鉱山の遺構を見ることができたので、町に戻り建築でも見て回ろうと車に戻るつもりでいたところに、ジョンイルさんがここまで来たのだから慶山新聞社のチェ・スンホさんに連絡をして虐殺現場である坑道を一緒に見たらどうでしょう、と提案してくださいました。チェ・スンホさんは1993年にコバルト鉱山虐殺事件について初めて本格的に報道(1960年5月に大邱毎日新聞での報道が初めてだそうです)した記者であり、現在は新聞社の発行人・社長。虐殺の真相解明について取材・執筆を続け、遺族らとの運動の中心的人物で坑道の扉の鍵は彼が持っているとのこと。

え!こちらはきちんとした取材をしにやってきた記者でもなく、ましてや研究者でもない、ちゃんとしたカメラも持って来ていない。見せていただくなんて恐れ多いと言おうとしたら、すでにジョンイルさんは横で電話をかけているではありませんか。

「夕方の4時半くらいには時間ができるそうです。カフェに来ていただくよう伝えました。私はもう仕事しなくちゃいけないし同行はできませんけれど、それまでは町を見ていただいて」

ある意味困ったことになりました。虐殺の現場をわざわざリーダーの方に開けてもらって見るなんて。事件についての下調べどころか列車の中でざっと見ただけ。けれどもジョンイルさんの親切を断るのも難しい。何も言えなくなったまま再び車に乗り、カフェに到着すると一旦ジョンイルさんとはお別れしました。

今回はここまで。

 

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