木浦・旧朝鮮耐火株式会社木浦工場





全羅南道木浦市温錦洞(オングムドン)、西山洞(ソサンドン)は木浦の旧市街の中心の南西、バスで約20分のところにある町です。莞島(ワンド)や新安(シンアン)といった島から貧しい漁業関係者が多く移り住み、儒達山(ユダルサン)の麓に小さな家がたくさん建てられました。朝鮮耐火株式会社の木浦工場がこの地にできたのが1938年。レンガ工場だったのでしょうか?調べましたがよくわかりませんでした。1945年に米軍に接収されましたが1947年に朝鮮耐火化学工業として新たに稼働しました。







産業遺産として保存価値があると2017年に登録文化財第707号に指定されました。この工場は数十年間放置されたままだったそうです。空間がどう活用されるのか、再開開発の対象となるのかよくわからない状態が続いています。







とにかく広いのでびっくりしました。訪れたのは平日の午後4時ごろ、それにしても人がいません。通りすぎるのはお年寄りのみ。
不気味なほど静かで、そして不快な海の生臭さ、腐臭がかすかに漂っていました。とてもおすすめできない散策コースですね(苦笑)







けれども廃工場や意味なく広い空間好きであれば(?!)一度は訪れる価値のあるところです。建物5棟(A、B、C棟、事務室、社宅)、煙突3基、設備5基が登録文化財に指定されています。サイトのトップページにある画像がかつての木浦工場全景だと思われますので参考になさってください。







こちらがおそらく事務棟







こうやって見るとけっこうモダンですよね。この事務棟は1947年以降にできたかどうかはわかりません。







イ・フンドン朝鮮耐火名誉会長のインタビューによると、朝鮮戦争で工場の八割が燃えたとのこと。再起のために苦労されたようです。その後浦項第一製鉄所第一高炉の稼働と共に浦項に工場を、1980年代には全羅南道の光陽に工場が造られ現在に至ります。







数十年放置された理由はちょっとよくわかりませんが、何に使うのかまったくわからない構造物が古いレンガ塀の向こうに見えました。レンガ塀はけっこう古く、おそらく1938年当時のものだと思います。ところどころ倒壊のおそれあり、注意という案内がありました。










真っ赤な漁網があちこちにあり、ある意味風景のアクセントとなっていました。
古ぼけた煙突のある風景、かつての賑わいを想像させる空間。
解放の時、朝鮮戦争の時はどんな状態だったのか、周辺に住んでいた労働者はどこに行ったのか、工場跡はだまったまま。

お年寄り三人の笑い声だけが響き、そのうち一人がその場を離れて歩きだしたのでそのままついていくような形となりいました。青空が少しずつ色を変えていきました。
どんどん傾いていく太陽、潮の匂い。


工場の跡地周辺をゆっくりと散策しました。次回に続きます。





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