天安・成歓にて


忠清北道(チュンチョンプット) 天安(チョナン)近くに住んでいる在韓日本人の方のブログでこの家屋の存在を知りました。天安の鉄道官舎を見に行くついでに向かったのは、忠清北道天安市の成歓(ソンファン)です。ソウル駅から1号線(首都圏電鉄、電車のことはよくわかりませんので1号線としておきます)の急行に朝7時30分くらいに乗車。
成歓駅は小さな駅ですが、南ソウル大学という大学のキャンパスがあるためか、電車が止まります。1905年に京釜線が開通し、この駅が開業したとき職位の高い人が駅長に任命されたそうです。日清戦争で日本軍が勝利した戦場(成歓の戦闘)がこのあたりにあったからなのだとか。
次の駅である平澤(ピョンテク)駅まで約9.4kmあり、韓国でも駅と駅の間が大変長いところとしても知られています。







駅から徒歩で2分ほど。修繕に力を入れてはなさそうな外観ですが、大変立派なオーラが漂う家です。金鉱採掘のためにやってきたある日本人が、日本から資材を船で運んできて建てさせたというこの家、その日本人は一体どんな人物なのか気になります。








『南韓特産物地図(1934)』のキャプチャーより。右側、天安(チョナン)の左上に稷山(チクサン)邑、成歓邑が見えます。このあたりは金が採れたのですね。川では砂金も採れたそうです。13世紀後半、高麗時代は採掘した金を元に献上し、後に元が直接採掘していました。詳しいことはこちらをどうぞ(韓国語)。統治時代、日本人がやってきてどんなふうに鉱山を手に入れて管理していたのか、よくもまあという言葉しか出てきません…(まあみんなそうなのでしょうけれど)そしていろいろ資料を見ていると、朝鮮時代からの鉱業というものに大変興味を覚えます。時間があればいろいろと勉強したいですね。







玄関にはふくらみのある曲線のエンタシス風円柱が、その近くには練炭が積んであります。練炭で暖を取るのでしょうか、台所で使うのでしょうか?







こちらのニュース記事(2017年)によりますと、イム・ソンテクさんという80歳の方が住んでいるそうです。この家は1945年以降空家だったのですが、朝鮮戦争のときに大田(テジョン)から避難してきたイムさんのおじいさんと家族が住むようになり、その後イムさんのお父さんが1975年まで婦人科病院を経営していました。病院の名前はトンイン医院。同仁か東仁?
イムさんのお父さんは、黄海道載寧郡(ファンヘドチェリョングン)の出身で、そこでは銅山病院の医師をしていたそうです。何かの縁でしょうか、鉱山つながりですね。
畳部屋と室内にトイレがあるのは、町界隈ではこの家だけだったとイムさんは回想しています。記事を読み進めていくと、病院は大きく儲けることもなく、イムさんの父はイムさんの祖父と6人の子どもの面倒を見るので大変だったそうです。イムさんは家の歴史のことはわかっているものの、今は何もできないのでもどかしいとありました。なるほど、そのような事情があったのですね。







塀に立てかけてあったのは、“ホンダ照光オートバイ”







ここは雰囲気がよかったので思わずパチリ。天安旅館という旅館です。







この家も古いのではないかなあと思いました。







成歓神社のあったところに行きました。階段は神社のものを利用したのかどうかはわかりませんが、そんな雰囲気を感じました。成歓教会が建っています。








写真はこちらからダウンロードしました。成歓神社は1928年に創立されました。








成歓というと日清戦争の戦い、そして戦死した松崎大尉の記念碑(現在はない)が思い浮かびますが、昔の新聞を調べていると、“成歓眞瓜”“ 成歓甜瓜 ” という単語がたくさん出てきます。こちらは1931年8月23日毎日新聞の記事のキャプチャーです。 宇垣朝鮮総督より天皇、皇后、皇太后と皇族らに献上するまくわうり(チャメ)が東京まで運ばれた、という内容です。
成歓はケグリチャメと呼ばれる青いカエルのような模様のまくわうりの産地だということを知りました。この緑色のまくわうりは、1920年代に天安に住んでいた日本人が改良した品種なのだそうです。誰なのでしょう。これまた気になるところです。







家を見学した後は在来市場を見て回り、成歓バスターミナル近くのバス停からバスに乗って天安の(旧)市街地へと向かいました。

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