敦義洞・チョッパン村

鍾路(チョンノ)は江北(カンブッ)と呼ばれる漢江(ハンガン)の北側にある旧市街地で、一般的に光化門(カンファムン)の交差点から東大門までの大きな通りのことを指します。通りは日本で言う「丁目」にあたる1街〜6街に区分けされていて、それぞれ町ごとに特色があります。鍾路は朝鮮王朝時代は商業の町として発展し、京城時代(1910-1945)には南側の日本人町と対比される朝鮮人居住地域の中心として栄えました。仁寺洞や世界遺産の宗廟といった有名観光地もありますし、現在も江北の繁華街といえば鍾路ではないでしょうか。

鍾路1〜3街は、再開発により古い建物が次々と解体され大々的な工事があちこちで行われています。けれども路地を一本入ると空気ががらっと変わり、昔ながらの下町が広がるエリアもあればいかがわしい雰囲気に包まれたエリアが健在です。一日をタプコル公園(時間制限はあるものの)か宗廟前の公園で過ごすおじさんやおじいさんがいっぱいなのも相変わらず。冬の寒い日には駅構内にモリモリいてほのかに異臭が漂い、ああ、まだまだソウルにはディープコリアが残っているとほっこりできる町、それが鍾路です。

さて、今回は地下鉄1・3・5号線鍾路3街駅、5号線改札3番出口付近にある敦義洞(トンイドン)をざっくりと紹介しようと思います。地図は韓国語ですが、三角ポイントのあるらへんです。このような繁華街、近代的(でもないか)なビルとビルのはざまに、忘れられたかのようにひっそりと存在するスラム街があります。

 

 

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この地図をもう少し拡大してみると

 

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住所の番号がいっぱいありすぎて、重なっているのが見えますでしょうか?敦義洞は、およそ1,000坪の土地に約100軒のチョッパンと呼ばれる木造賃貸住宅が隙間なく並ぶ、住宅密集エリアです。1泊7,000~8,000ウォン、月単位だと20万ウォンくらいで泊まれる簡易宿があつまる場所、つまり東京の山谷や大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町などのドヤ街のようなところです。韓国ではチョッパン村といい、チョッ(半分の)+パン(部屋)という言葉がチョッパンの由来と言われています。敦義洞(トンイドン)チョッパン村には、現在日雇い労働者や低所得者、そして体の不自由な人々が生活しています。日本のドヤは旅館法という法律の基準を一応満たしているのですが、チョッパンは完全な違法建築。横になったらそれで終わりという広さの部屋が約700もあって、その環境の劣悪さはここで書く必要もないでしょう。

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1〜3階の平面図

 

 

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ソウルにある規模の大きいチョッパン村の部屋数(資料はこちら)

チョッパン村はソウルにいくつか存在します。規模の大きいところは南大門5街、永登浦(ヨンドゥンポ、完全な無法地帯だから一人でカメラ下げて行っちゃダメと強く言われたところです)、東大門近くの昌信洞(チャンシンドン)、龍山(ヨンサン)の葛月洞(カロルドン)と東子洞(トンジャドン)など。1945年の終戦後日本人がいなくなった後の木造空家に、朝鮮戦争後避難してきて身寄りのないまま何十年というお年寄りが多く住んでいることも。

 

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敦化門路9街キル13-2 
敦義洞愛の休憩所、冬の火災予防教育案内のお知らせ、白菜キムチ1キロ配布のお知らせ

韓国では住民登録番号というIDで全てが管理されるのですが、チョッパン村に住むほとんどがこの番号を持っていません。持っていないということは、それなりのサービスが受けられない=社会から完全に疎外されて生きてくしかありません。行政の福祉サービスの他に、教会や市町村から事業の委託を受けてボランティアなどが支えているのは日本と同じです。

 

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 急な階段を上って2階にあがると、狭い間隔でドアが並ぶのが見えます。中から生活音が聞こえてきます。見つかったらやはり怒られると思いで急いで下ります。

 

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敦義洞は日本統治時代、柴炭市場というたき木や炭などを扱う公設市場がありましたが1936年に市場は閉鎖、朝鮮戦争後には大規模な私娼街になったという説明をネット上で確認できます。元々朝鮮王朝時代も色酒家(セッチュガ)という酌婦らが集まる場所だったので、統治時代も鍾路2~3街は売春宿が多く並んでいたようです。やがて私娼街は朝鮮戦争後の1953年くらいから鍾三(チョンサム)と呼ばれるようになり、最盛期にはタプコル公園から楽園洞(ナグォンドン)、鍾路5街まで東西1キロ、南北200メートル、公娼エリアといってもおかしくないくらいの規模になりました。抱主(ポジュ、雇い主)110人、売春婦約1,400人、客引き160人ほどがここで仕事をしていたわけです。

 

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 ワンスンデ(韓国風豚の腸詰ソーセージ風なグロイけどおいしい食べ物、春雨やもち米、豚の血などが入っている)屋前にて

1968年9月の終わり、ブルドーザーの異名を持つ金玄玉(キム・ヒョンオク)市長が世運商街(セウンサンガ)の建設現場の視察に訪れたときに、ある娼婦から「おじさん、遊んでいかない?」と袖を引っ張られました。市長は急いで鍾路区役所を訪問。市の関係者と警察幹部を呼び出し、花(娼婦)ではなく花に群がる蝶(客)の締め出しを目的とした蝶々作戦(ナビチャクチョン)という私娼街撲滅計画を建てました(続・みょんどん君のスーパーコリアステーションの鍾三方向中の翻訳記事が参考になります)。
蝶々作戦はテレビやラジオ、そして新聞で大体的に告知され、路地には区役所職員や私服警官が張り込み、蝶に職務質問攻めして客足を途絶えさせることに成功。同時に抱主と婦女の説得も行われ、10月5日に鍾三の灯が消えたのでした。

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人はいなくなりましたが、建物は残ります。そこに住みだしたのが現在の住居者、つまりホームレス一歩手前の人々です。1997年のIMF危機以降にどっと人が増えたといいます。細い路地には椅子がいくつか置いてあり、もしかして客引き?と一瞬勘ぐってしまったのですが、一晩いかが?の意味は違いました。単に空き部屋を案内するアジュンマでした。敦義洞のチョッパン村に流れてくる人々は、どういう風に情報を聞きつけてここにやってくるのでしょう。以前、楽園商街の地下にある市場で友人と飲んだ後、その店の女主人が帰る支度をしていたので酔った勢いで尾行をしたことがあります。赤い口紅をひいた大仏パーマのハルモニは、鍾路の屋台で店の主人と談笑しながらおでんか何かを口にした後、そのままモーテル街の路地に消えていきました。なんとなく彼女が、敦義洞の住人ではないかと直感的にそう思いました。南大門の古いアパートに住む両替ハルモニのように、彼女もまたソウルの一等地に住んでいるのではないかしらん。

 

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屋台はこういうところで待機していたのか…

 

 

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「アガシ、あたしは撮っちゃあだめだよ」
赤いプラスチックの椅子に座っていたハルモニが、私のカメラに気づいて優しい声で注意をしました。
「花がきれいなので…花を撮ってるんです」
アガシと言われたことに驚きましたが、赤い口紅をひいた、どこか憂いのあるハルモニの表情が艶かしく印象的でした。とっさについた嘘に後ろめたさを覚えながら、もうここに来ちゃいけないかなとも。

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