独立門

高さ14.28メートル、幅11.48メートル、約1,850個の花崗岩でできた独立門はフランスの凱旋門を模し、ロシア人建築家サバティンの設計した(ドイツ公使館のスイス人技師が設計したという説も)門です。1896年11月に工事が始まり、1897年11月21日に完成しました。

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 独立門の前に古い2本の石柱がありますよね?この石柱は、1897年10月に李氏朝鮮の第26代王高宗(コジョン)が国号を大韓に変えて自身が皇帝に即位した際に壊された迎恩門(ヨンウンムン)という門の一部です。

 

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李氏朝鮮は長い間清(中国)と冊封関係にあり、迎恩門は清の皇帝の使者を迎える門として作られました。日清戦争で日本が勝つと、清は李氏朝鮮が独立国だと認めました。独立門は朝鮮の自主独立を祝ったもの(門は清からの独立を象徴していますが、どの国からもという意味が大きいでしょう)、1910年の日韓併合による植民地支配からの独立を祝ったものではありません。独立というと無条件に日本からのと思いがちですが、私もそうでした。
これは同じ公園に西大門(ソデムン)刑務所があって、抗日・独立運動をした人々の歴史が語られているので、どうしても頭でリンクさせてしまうのですね。独立門=日本統治時代?と思ってましたし。最近光化門(カンファムン)にできた大韓民国歴史博物館の独立門の展示パネル前で、「この門は日本からの独立を記念して…」と韓国人父が息子に話しているのを横で聞いて、それは違うよーといいそうになりました。

 

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門のすぐ横に朝鮮の革命家・韓国のヴォルテールとも呼ばれている徐載弼(ソ・ジェピル)の銅像があります。清からの自主独立と近代化を目指した開化派の一人で、開化派運動機関の独立協会の創設をリードしました。独立門の上部にある扁額の文字は徐載弼が書いたとされていますが、日韓併合に大きな働きをした人物で売国奴・国賊とされる李完用(イ・ワンヨン)という説もあります。李完用は独立協会で会長を務めたこともあり、最初からバリバリの親日派というわけでもなかったとのこと…李完用の銅像のほうが実はふさわしいのではないかという意見もあるとかないとか。

歴史って本当に難しい。同じ現象・ものが言語や立場、解釈によってまったく違うということを今回も思い知らされました。日本、韓国共に好意・悪意による偏った資料が多いので、このブログに書いてあることもあまり信用しないでください(涙)

門、銅像、三・一独立宣言記念塔、刑務所、その他もろもろの建物。まずはやはり、直接自分で見て自分でどう感じるか、ではないでしょうか。

まさか独立門をくぐれるようになるとはな…

 

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