南山・神社の名残

南山(ナムサン)には日本統治時代に3つの神社がありました。1925年に完成した朝鮮神宮、京城に住む府民の氏神として機能した京城神社(1916年)、1882年の壬午軍乱以降に死んだ軍人の霊を祀った京城護国神社(1943年)です。

 

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天照大神と明治天皇を祭神とする朝鮮神宮は、日韓併合後韓国全国に約1,114も作られたという神社の総鎮守としての機能を持ち、この神宮の建立以降日本は朝鮮の人々に神社参拝を奨励。1937年以降になると奨励ではなく強要しました。日本の敗戦がわかると京城にいた日本人が、韓国人に毀損される前に自らの手でこわしたといいます。

 
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南山の開発は日清戦争後の1897年、在漢城(朝鮮時代、ソウルは漢城と呼ばれていました)日本領事と朝鮮政府の間で交わされた契約から始まったといいます。南山北麓の土地を手に入れるとここに「倭城台公園」を作り、先ほどの神社の前身となる神社や道路を次々と作っていきました。その後1908年にはさらに広い土地を手に入れ、1910年には当時の李氏朝鮮の王高宗(コジョン)が命名した「漢城公園」が作られました。当時の日本は公園造成という名目で、李氏朝鮮の官有地の山を所有していくことになります。南山ケーブルカー乗り場近くには「漢城公園」の石碑があり、文字部分が消されていたりと痛々しい姿で歴史を物語っています。

 

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朝鮮神宮の参道は、崇礼門(南大門)の脇からスタートしていました。李氏朝鮮王宮への嫌がらせですね。大日本帝国はソウル市内の現在世界遺産にも指定されている王宮群を徹底的に破壊し、格下げして公園や動物園にしたり、美術館や博物館を作りました。時には博覧会を行なったり、景福宮の中には朝鮮総督府まで作ってしまうのですから、プライド高い朝鮮の人々はそれはもう屈辱のなにものでもなかったでしょう。皇居の中にアメリカが遊園地や動物園作るようなものですから。

 

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南大門から見た朝鮮神宮。広い参道と鳥居の先の階段部分は朝鮮戦争後、冬に雪が積もるとお手軽なスキー場になったとかならなかったとか。

 

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ソウル特別市教育研究情報院横の階段はよく神社の階段と言われていて、私も長年そう思っていましたが実は違うとのこと。朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代に作られたものなのだそうです。

 

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現在は2005年の大ヒットドラマ「私の名前はキム・サムスン」のラストシーンに出てくる階段として有名で、こんな立て看板もありました。

 

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朝鮮神宮の配置図です。神宮へと続く階段が見えるでしょうか。この階段以外の階段は見当たらなさそうです。研究情報院の位置はこの図の左側(南側)になるので、位置的にもやはり違うのではないでしょうか(個人的な意見です)。ちなみに、朝鮮神宮の名残というのは公園の一部にあると聞いたことがありますが、今回は探せずじまいでした。京城神社の4つあった摂末社(境内または神社の附近の境外にある小規模な神社)の一つ「乃木神社」の遺物があるリラ初等学校へと向かいました。

 

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こちらは明洞駅から南山へと向かう途中にある私立のリラ初等学校。校舎から子どもの制服、スクールバスまで全てが黄色で、ある意味異様です(笑)。しかし韓国では珍しい私立小学校で、お金持ちの子息が通うところなのだそうです。

 

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この学校の裏にあるのが南山院という福祉施設。親のいない子どもたちが住んでいるところです。この場所に乃木神社がありました。

 
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写真左が乃木神社、右が京城神社の摂末社を紹介した絵葉書。天満宮や八幡宮もありました。乃木神社は明治時代に活躍した軍人乃木希典(のぎまれすけ)を祀ったところ。乃木希典というと明治天皇の崩御の際妻と割腹自殺した軍人ですが、台湾総督府に就任していたこともあるのですね。南山院のところどころに、乃木神社の手水鉢や灯篭などの遺物が残っています。


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施設入口にある手水鉢
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灯篭台と思われる石はイスとして使われています。

 
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これらの遺物、韓国では文化財に指定するかどうかで意見が分かれています。ところで厳密に言えば韓国には神社は残っていません。台湾には鳥居があったり公園になっていたりします。韓国で保存という動きがないのは仕方のないことです。全羅南道の小鹿島(ソロット)にある神社は、きれいになってしまったといいますがいつかは見てみたいです。巨済島(コジェド)の入佐村(日本の漁村がまるごと入植したところ)にあった神社の鳥居の残骸は、人々が植木鉢を並べているそうです。麗水(ヨス)にも神社関連の建物が一般民家として使われているとか…まだまだ見たいものはいっぱいですね。


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