全羅道・近代建築の旅

マダム・ゴッチとムッシュ・ボンボン、そして二男と近代建築をめぐる旅。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 

まずは二人のご紹介。夫婦はフランスでそれぞれ美術史と建築を専攻、リヨンでの築100年の古いアパートでの生活をきっかけに自分の国の近代建築に関心をむけるようになり、帰国後は韓国に残る近代建築を訪ねて回る旅に出ました。その記録をまとめたのが「青春男女 100年前の世界を歩く」という本で、建物の時代背景やその時代に生きていた人々、建築にまつわるたくさんのストーリーをスイートな文章と素敵な写真で紹介しています。建築に詳しくなくてもさらっと読めて、自分も近代建築めぐりしちゃおうとその気になれる韓国近代建築本は、私が知る限り韓国ではこの本が初めてではないかと思っています。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

この本に出会ったときの衝撃にまかせて、マダムゴッチ(ゴッチはたまごっちからつけたんですって)ことチェ・イェソンさんにメールを送ったのが2011年6月。韓国の近代建築の歴史は日本統治時代の歴史と言い換えられるわけで、日本人からのメールにイェソンさんは正直複雑な思いに駆られたそうです。けれどもそのメールをきっかけに、物好きな私に親切にしてくれるようになりました。現在イェソンさんはエッセイストとして、ムッシュ・ボンボンことチョン・グウォンさんは、建築事務所を構えて多忙な日々を送っています。

2013年2月のある日、弘大(ホンデ)近くの望遠洞(マンウォンドン)のサブウェイでイェソンさんとおしゃべりをしていたときのこと。

一年ぶりの日本は、二男と大邱(テグ)や浦項(ポハン)らへんの近代建築めぐりをしながら釜山から成田に行くつもりという私に、車もないのに3歳児と田舎めぐりは無謀では?とイェソンさんが至極まっとうな一言。

そしてちょうどその時期に釜山の実家に戻る予定があるので、車で南下しながら一緒に行かないかと素敵なオファー(というより3歳児を心配して)。

私の行きたいリクエストを考慮した全羅道(チョルラド)を通るスケジュールを立ててくれ、以下のような旅になりました。

リンクをクリックすると、今回見て回ったポイントの入った地図が見られます。

 

1日目 全羅北道(チョルラプット) 群山市→金堤(キムジェ)市→井邑(チョンウッ)市→麗水(ヨス)市

旧朝鮮銀行群山支店-臨陂(インピ)駅-旧橋本農場事務所-旧熊本農場倉庫-旧田植家宅-麗水で一泊

2日目 全羅南道(チョルラナムド)~慶尚南道(キョンサンナムド) 宝城(ポソン)郡筏橋(ポルギョ)→光陽(クァンヤン)市→統営(トンヨン)市→釜山市

旧宝城(ポソン)旅館-旧金融組合-朴氏祭閣-太白山脈文学館-尹東柱(ユン・ドンジュ)遺稿保存鄭炳昱(チョン・ビョンオク)家屋-統営(トンヨン)トンピラン壁画村(車窓見学)-釜山でお別れ

 

■一日目

雑誌の編集締め切りで夜遅くまで起きていたというイェソンさん、迎えに来たのが朝の9時。3月1日からの連休を避けて私たちは2月28日に出発しました。お子様との旅行は初めてと緊張する夫婦。3歳児はそんな心配も気にすることなく車内で自由気まま。

まず最初に向かったのは群山(グンサン)です。ここは夫婦にとっても特別なところで、近代建築めぐりはここが出発点になっています。私も何度か来ているのと全羅道方面に旅行に来た際は必ず通るようにしているので、町並みにどこか親しみがあります。日本統治時代の最盛期には日本人が約3万人も住んでいたというだけあり、旧市街は日本家屋だらけ。市が保存に力を入れているので、数年前まではお化け屋敷だったり荒れるにまかせていた建物がきれいになって、今では観光資源として活用されています。

 

P2294282

 

旧朝鮮銀行群山支店(1923年ですが、正確には1922年12月) 、登録文化財第374号。設計は日本人建築家中村與資平。ソウルの韓国銀行本店(旧朝鮮銀行本店)や徳寿宮内にある国立現代美術館別館(旧李王家美術館)なども有名です。

 

#38868607

 

2008年に行ったときは廃墟化したナイトクラブ、その名もプレイボーイ。とても異様な存在感を放っていたのが記憶に残っています。

 

P2294304

 

群山市郊外にある臨陂駅は、全羅北道益山(イクサン)と群山を結ぶ群山線の駅の一つで1936年に建てられました。2005年に登録文化財第208号に指定。駅舎の前には大きなイチョウの木がありましたが今はありません。周辺を公園として整備するらしく、あちこちに資材が置かれています。それにしてもいつからミントグリーンになったのか…

 

P2294305

電車は通り過ぎるのみ。大きな木は人々の往来を見てきたのでしょうね。

 

P2294297 P2294298

がらんとした駅舎、そしてそこに置かれた古い金庫。よくよく見ると「湊金庫製作所 京城黄金町二 電本5365番」とプレートにあります。現在の乙支路(ウルチロ)ですね、ここまで運ばれて金庫の中に何が保管されていたのか気になります。少なく見積もっても70年以上は経っている骨董品ですね。

P2294309

金堤市竹山面(チュッサンミョン)にある旧橋本農場事務所(1926年)、2003年登録文化財第61号指定。日本統治時代、金堤一帯の日本人大地主の一人だった橋本巽が経営していた農場の事務室で、小説「アリラン」にも登場します。1906年にこの地にやってきた橋本巽は、1911年に土地の払い下げを受けて荒れ果てた土地の改良を重ね、1916年から農場を経営を始めました。最盛期には550人もの小作人がいたそうです。

採光のための小さな三角屋根(ドーマー窓)や、花崗岩でできた三段の階段などどこかこぢんまりとしてかわいらしい雰囲気。平屋と平屋の小さな道を入るといきなり現れるのと、そんなに広くない敷地にちっちゃーく建っているのがとても印象的でした(こちらの2番目の写真をご参考に)。1920年代の当時は、かなり目立ったのではないかと思います。

 

 

 

P2294324

 

橋本巽翁頌徳記念碑と書いてあります。橋本巽の功績を讃える碑で、イェソンさんはこんなのあったんだー、前気づかなかったと驚いていました。

 

P2294323

 

昭和16年なので1941年くらいだよ、と言うと、そんなに古い碑には見えないなーとイェソンさん。グウォンさんは、この時記念碑の裏にいる犬を見せようと二男を肩車。私は事務所の建物の写真撮るのに夢中、二男は吠える犬に夢中。同じ敷地内にあった倉庫兼宿舎の建物は時間がおしていたのでさらっと見て終了。

事務所中の様子や、倉庫兼宿舎の様子は、ありりんさんのブログで楽しめます。

 P2294326

井邑市新泰仁(シンテイン)邑禾湖里(ファホリ)にある旧熊本農場禾湖支場の米倉庫前には、最近設置されたとおぼしき案内板が。禾湖里日帝強占期収奪現場と書いてあり、夫婦もこれには興ざめしていました。

長崎県出身の熊本利平は、全羅北道に最初に進出した日本人農場主として有名で、国策会社の東洋拓殖株式会社(朝鮮内での農業事業推進目的で作られた会社、まあ合法的な収奪とも言われてますが)を除けば、全羅北道では個人地主としてはトップの人物。熊本利平についてはいろいろエピソードがあるのですが別の機会に。本人は日本に住んでおり、たまに様子を見に来ていたといいます。

現在この場所には、5棟あったと言われる米倉庫のうち1棟と、禾湖支場農場長の家が残っています。

 

P2294337 P2294329

米倉庫と言えど、とにかく立派。そしてその荒れっぷりがツワモノどもがなんとやら、です。元々2階建てだったそうで、その跡を確認できます。病院や学校としても利用されましたが、1980年代はヤッチャンサというお年寄りを相手にした催眠商法の業者が出入りしてショーなんかを開いていたとか。なので当時使われた万国旗やカラオケアンプなどが放置されていてかなりイタかったです。すぐ裏の登録文化財に指定された禾湖支場農場長の家は中を見ることができませんでした、残念。

 

 

P2294340

 

同じく禾湖里、旧田植農場の事務所兼自宅です。圧倒的な存在感!そしてこんなに荒れはてても基礎がちゃんとしているからでしょうか、ゆがみがひどいものの雨風耐えてしっかりと残っています。

1913年東洋拓殖株式会社の移民募集を見た30歳の田植太郎は、25世帯の人々とともにこの地にやってきて土地ころがしと高利貸業で出世して大農場主に。苗字が田植とは、名前が農場主にふさわしいですね(笑)

 

 

P2294345

 

当時は最新式のトイレだったかと思われます。

 

P2294348

 

よくここまで放置できるなと感心さえしますね。たまたまいた住人のおばちゃんが、もったいないよね~井邑市の予算がここまで回らなくて放置なんだよと言ってました。1945年以降は郵便局としても使われていたそうです。日本ではありふれたお金持ちの農家の家ですが、周りの韓国的風景とまったくかみあっていないところと、静かに朽ちていく建物そのものが歴史の深さと重さなんだなあとしみじみしてしまいます。この田舎に集団でやってきた高知の人々はどんな暮らしをしていたのか…

その2に続く

4 Comments
  1. 私が本屋の編集だったら、日韓混合クルマ旅の道中一部始終を本にして出したいところですね。群山線や長項線はここのところ線路つけかえて電化されたみたいですけど、いくつかの古い駅がこうして保存されている。じつにいいことだと思いますね。

    • 小森さん
      日韓混合旅ってちょっと新しいですよね。感じるものの違いや同じところとかをうまくまとめたらいいかもですね~。
      古い駅の保存は嬉しいですよね、ミントグリーンに塗り替えられても!

  2. 久しぶりにりうめいさんのブログをゆっくり拝見しています。
    全羅北道にもまだまだ見ておかなくてはならない場所がありますね。
    しかも崩れる前に、塗ったくられる前に。
    あの幽霊屋敷は井邑の田植農場主家屋だったのですね。
    ほぼ同じような家を金堤で見ましたが、綺麗にお化粧され過ぎてて、私の目には魅力的には見えなかったです。幽霊の方がある意味価値があるような(⌒-⌒; )
    イェソンさんの本も次回行った時に購入して来たいです。
    あと、最後に。リンクありがとうございました

  3. >ありりんさん
    全羅北道は米関連の近代文化遺産がたくさんありますよね。

    >あの幽霊屋敷は井邑の田植農場主家屋だったのですね。
    そうです、そうです、井邑です。おっしゃるとおり、幽霊の方が兵どもがなんとやら、でよっぽどよく言われる「歴史を伝える」遺産になると思うのでsがね・・・
    イェソンさんの本、文章が素敵です。写真もお見事です。正直、実際の建物見て、えっ??と思ったところが多いくらい素晴らしいのです(笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です