全羅道・近代建築の旅 その2

小腹が空いたら群山の人気パン屋李姓堂(李盛堂と表記しているところも、どちらでしょう)で買ったどら焼きなどを食べ、麗水(ヨス)のホテルに着いたのは夜の7時。夜遅くまでの仕事で疲れがピークになったイェソンさんにしばし休憩ということで、夜8時までホテルで休んだあと海辺の食堂へ。
1日目の夕ご飯は、麗水名物のソデフェ。舌平目、玉ねぎと大根を甘辛いタレで和えた一品です。これをごま油のかかったごはんと混ぜ混ぜしていただきます。量がとんでもなく多く、後半は舌平目だけを選んで食べる状態に。

 

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翌朝雨がぱらつきましたが、宝城(ポソン)の筏橋(ポルギョ)に着く頃には青空が見えてきました。筏橋は現在は小さな田舎町ですが、日本統治時代は全羅南道の東部の交通の要衝地として栄えました。

 

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2003年に登録文化財第132号に指定された宝城旅館は、1935年に建てられた木造2階建ての和風旅館です。ところどころに韓屋の特徴も見られます。小説「太白山脈」に出てくる南道旅館のモデルとなったところで、文学の舞台として多くの人が訪れます。1980年代後半までは旅館として使用されましたが、目の前が小学校ということで一般商店に。その後近代建築遺産として保存が決まると文化財庁と文化遺産国民信託という団体が建物を買い上げ、2年半の復元工事を経て2012年7月から一般公開されました。

 

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1階はカフェ、小劇場、筏橋の歴史の紹介コーナーがあり、宿泊できるお部屋も。レトロな雰囲気いっぱいのカフェはとても落ち着きます。

 

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ドリンク(お茶類・コーヒー・オレンジジュースのいずれかチョイス)のついた入場券は4,000ウォン。お茶請けも出ます。コーヒーフィルター(ピントが合ってないけど)もセンスよく使えば素敵なお菓子入れになるのねーとそのアイディアにイェソンさんと私はへーへーを連発。

 

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レトロなそろばんや遊ぶ二男の前には、親切軍人の家(店?)という札が。なんだろう、気になります。二男はハングルタイプライターを気に入ってしばらく打って遊んでました。

 
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2階の畳部屋もきれいに復元されていました。少々ゆがんだ空間に時間の流れを感じます。

 

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旅館のある通りは、太百山脈キルと名づけられ整備されています。名残を感じられる建物がぽつぽつとありました。

 

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2005年に登録文化財第226号に指定された旧金融組合の建物は、現在は筏橋農民相談所として使われています。

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次に向かったのは、小説「太百山脈」の作者趙廷来の文学記念館と、その近くにある朴氏祭閣と呼ばれるお金持ちのおうちです。小説を読んでたらもっと楽しめたかもしれません、夫婦もいつ読んだか忘れちゃったなあという感じでしたが、生存する作家の記念館は珍しいといっていました。

 

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ところどころに和が感じられる素敵な建物。小説にはどんな風に登場するのか、翻訳小説を読もうと思わせるに十分なところでした。しかし大河小説、それよりも小説なぞ久しく読んでいないという…

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小説「太百山脈」のゆかりの地を訪ねて回るコースもあります。興味のある方ならきっと意義ある旅行になると思います。ちなみにこの日は祝日ということもあり、筏橋名物コマ(灰貝)料理の店はどこも行列でした。私たち一行は、光陽(クァンヤン)名物のプルコギをお昼にと決めていたので我慢我慢。次の目的地へと向かう途中でプルコギ通りに寄り、30分ほど待ってプルコギを食べました。

 

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梅の名産地として有名な光陽(クァンヤン)。蟾津江(ソムジンガン)河口の津月面(ジンウォルミョン)望徳里(マンドンニ)に国文学者鄭炳昱(チョン・ビョンウッ、1922~1982年)が住んでいた家があります。1925年に醸造所兼住宅として建てられた木造家屋で、詩人尹東柱(ユン・ドンジュ、1917∼1945年)の遺稿が保存されていたところです。尹東柱は、1943年日本留学中に治安維持法違反で逮捕、懲役二年の判決を受けて旧福岡刑務所に収監、獄死しました。1941年、日本留学前にハングルで書いた自筆の原稿を親友の鄭炳昱に預けたのですが、この家で監視の目を避けて保存され、鄭炳昱によって1948年に刊行されたのが唯一の自選詩集「空と風と星と詩」です。
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国文学者として業績を残した鄭炳昱がかつて住んでいた家で、韓国でもかなり珍しい1920年代の日本店舗家屋の特徴がよく出ているという点、そしてもしここで遺稿が保存されていなかったら、尹東柱の詩集は世間に知らされることがなかったという歴史的価値が認められ登録文化財第341号に指定されました。ほどよく修復されていていい感じです。

 

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中に入ることができました。二男は木の棒を見つけては土に挿していました。花が咲くよと言いながら。敷地内には何もなくて殺風景、確かに何か木でも植えられていればいいかもしれないですね。
私は尹東柱の死について、ハングルで書かれた遺稿の意味について、日帝日帝反発しながらも日本へ留学した知識人についてなどイェソンさんにぽんぽん聞いたのですが、おりしもこの日は三・一運動の記念日。お互いにそれはもちろん意識していたのですが、この日にこうやって日韓一行が近代建築を訪ねてまわるという意味を考え始めると実は重いな、重いことかもしれないなとそのとき感じ始めたのでした。

 

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遺稿が保存されていたところ。この家に住んでいた鄭炳昱の母と妹は、ハングルが読めなかったので遺稿の重要さがわからなかったことがラッキーだったとイェソンさん。詩の内容がわかってしまったら自分の身も危険に晒されるわけですから、燃やしてしまったかもしれないと。
当時ハングルで詩を書いた尹東柱の精神。民族運動、抗日運動うんぬんより言葉の持つ美しい響きにひたすら純粋に向き合った詩人とも言えるでしょう。それは何も知らない私の独りよがりな解釈かもしれません。私がこの家を見てほーとかへーとか言うのと、夫婦が見るのとでは距離があるのかもなあ、ふと、蟾津江を眺めていてそう思いました。この川のような。

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昔は家の目の前までが川だったそうです。おさかな!おさかな!と二男が連発するので川へと向かうグウォンさんは、すっかり子守担当に。本当にありがとうございます。

 

 

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記念日を祝う太極旗が道中見られたのですが、田舎は不気味なほど静かでした。おばちゃんたちも家屋の前を普通に通り過ぎていきました。

統営(トンヨン)に入るとものすごい交通量。連休で遊びに出る人でいっぱいでした。みんな統営にシーフード食べに来たのかなー、みんながクルパン(蜂蜜コーティングの揚げドーナツぽいお菓子で統営のご当地グルメ)買いに来たのかなーとそんな会話をしながら、巨済島、加徳島などを抜けて
釜山に夜7時半に到着。また会いましょう!と別れました。

改めて、メルシィ、マダムゴッチ、ムッシュボンボン!

翌日からは親子二人の旅 釜山です。

 

6 Comments
  1. 初めてコメントさせていただきます。
    あっちゃんのブログから飛んでまいりました。
    全羅北道、特に全州が好きで、古き良き時代を求めて旅しています。
    全羅北道をあちこち周るうちに、日本統治時代の精米所や日本式家屋などを目の当たりにし、いろいろと考えさせられる日々です。
    こちらのブログを拝見させていただき、まだまだ私の知らない世界があるのだなぁと痛感いたしました。
    宝城旅館、素敵ですね。
    大邱の北城洞他、いろいろと参考にさせていただきたいと思います。
    ステキな情報をありがとうございました。

    • ビョンさん
      コメントありがとうございます!
      ビョンさんのブログは拝見したことがございます。全羅北道と地方旅行の、ですよね?
      情報共有よろしくお願いします。
      全羅道は米どころで、群山や木浦には大きな日本人町もあったりして、
      昔の日本の痕跡をたくさん見て、複雑な気持ちになったりしますが、群山のようにそれを歴史遺産として保存しようという動きも出てきているので、見守って行きたいものですよね。
      これからもよろしくお願いします!

  2. 今年の8月に群山へ行ったら、旧朝鮮銀行が歴史資料館として生まれ変わっていたり、東国寺の前の通りにある商店もリノベーションされていたりと、
    あまりの変貌ぶりにビックリしました。
    あんなに手つかずだった群山の街並みが、韓国にありがちな「きれいにし過ぎている」という状態だったものですから。
    1月に益山を訪ねたとき、市庁の担当者から、日本統治時代を知らない若い世代にもその歴史を伝えていくために、春浦駅を、駅前の日本式家屋も含めて体験空間としてオープンする予定なのだというお話を伺いました。
    一方、金堤市では区画整理のために、金浦駅傍の市場近くにある日本式家屋や精米所を取り壊してしまったそうで、2月に訪れた時は、時既に遅しでした(泣)
    これからも貴重な建物を紹介いただけることを期待しています。
    よろしくお願いいたします。
    P.S.先日のコメントの北城洞→北城路でしたね。失礼しました。
    最近大邱にも更に関心が増していますので、来年早々に伺ってみようと思っています!

    • ビョンさん
      返信大変遅れましてすみません。家の事情でブログは今月からしばらく放置状態で。
      生の情報ありがとうございます!
      旧朝鮮銀行群山支店は歴史資料館になったのですね。周りは公園のようになっていましたか?とても気になります。あの復元は素晴らしいなとおもいます。昔の荒れ果てた大きな塊だった建物が、重厚で素敵な建物に生まれ変わりましたね。早く中が見たいです。
      東国寺周辺もなにやら観光資源として整備しているようでしたね。歴史博物館横の日本家屋街は、きれいになりすぎてなんだかな、とおもいますね。
      けれども群山はいろいろやってるみたいなのでがんばってほしいところですね。
      金堤はいつも通るだけで見たことがないのですが、そのような状況になっているのですね、精米所はたしかに搾取ゴニョゴニョな負の文化遺産ですが、そういうのを残しとかないと、わかんないとおもうのですよ。
      全羅道と日本の関係は実はとても深いのに。
      ビョンさんいらいろ意識されながら回られているのですね、これからもいろいろ教えてください!なくなる前に行かなくては!

  3. 私の全州ブログの方に、群山や金堤など、全羅北道のあちこちを回った記録があります。
    宜しければ、ご覧になってみてください。
    ブログ上部の「記事一覧」→「テーマ別記事一覧」と進んでいただくと、郡や市別のカテゴリーが出てまいります。
    益山市も含めて、すべて今年訪ねた時の記事ですので、現状をご覧いただけると思います。
    益山市は金堤市と全く逆の考え方で、過去の歴史を風化させてはいけないという考えだと、文化観光課の方から伺いました。
    そのあたりのことも記載しています。
    感想などお聞かせいただけると、嬉しいです。

  4. ビョンさん

    コメントありがとうございます。
    益山の円仏教益山聖地にもいかれたのですね、チャンドックン近くのカフェマゴという韓屋カフェを経営しているところの母体が、確かここだったと思います。そこもにほんと韓国の伝統が融合した折衷住宅があるのですが、この聖地にもそういった建物が多くあるのですね。大変参考になりました。ありがとうございます。
    益山は春浦あたりを観光遺産として、活用していくみたいですね。駅を見るのを忘れていました。汗。

    それと、インピ駅!びっくりしました。銅像が!!展示館としてオープンしていたのですね。興味深く拝見しました。

    この記事に出てくるイェソンさんが今月、私たちが訪れたところを再び訪れたとのことで、田上農場(金堤だったかチョンウプだったかな?)の家は朽ち果てる寸前だったとのことです。

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