釜山・40階段

今回釜山に行ったら、古本屋街か40階段は必ず行こうと決めていました。40階段は、1950年に起きた朝鮮戦争(韓国では6.25戦争)の避難当時多くの避難民がバラック小屋を建てて暮らし、釜山港から入ってくる物資を売買していた場所。また避難中に離れ離れになった家族との出会いの場所として人々の記憶に残っています。元々は1909~1912年頃、当時釜山に住んでいた日本人が二つの山を削って交通路を確保した際作られた階段で、現在のは1953年11月に起きた釜山駅前大火災の際、南へ30メートル移動したものです。

 

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階段の真ん中には「四十階段記念碑」とアコーディオンを弾く人の銅像が。小さな階段ですが、朝鮮戦争後の厳しい暮らしを知る場所として訪れる価値があります。

 

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アコーディオンを弾く人。そばに近寄ると音楽が流れるということでしたが、何もでなかったような。哀愁が漂っていますね。

 
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朝鮮戦争後の様子

 

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2004年釜山市は予算を投入して階段のある通りを「40階段文化観光テーマ通り」として整備。当時の様子を伝える汽車の道や踏み切り、人々の銅像、平和を願うモニュメントがあります。いきなり踏み切りや線路、木の電柱があり超リアルな銅像があるので歴史背景がわからないと、一瞬ハテナだらけになるかもしれませんが、ささっと見るだけでも面白いと思います。

すぐ近くには40階段文化館というテーマ館があるので、そこに行ってから見ると理解が深まるかもしれません。
 

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40階段は、地下鉄中央(チュンアン)駅11番出口から歩いて4分ほどのところにあります。駅に面した大通りを一本はいると60~80年代の雰囲気漂う香ばしい色をしたビルが並んでいます。ビルとビルの間に時代を感じさせる古い建物があったりして見飽きません。昔からやっているんだろうなあと思わせる印刷・看板の店に混じって、オーナーの個性が感じられるギャラリーやカフェも。

 

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このように銅像(写真の銅像タイトルはオモニの心)たちと写真を撮ったり、パク・チュンフン、アン・ソンギ主演の映画「情け容赦なし(1999年)」の顔抜き張りぼて前に立って記念ショットを撮るのも旅のいい思い出に。
 

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以前釜山に行く用事といえば、仕事、映画祭や友人に会いに行くぐらい。観光も超有名どころを回り、刺身や海鮮料理を楽しみつつ南浦洞(ナンポドン)や西面(ソミョン)などの繁華街でショッピング、ひたすら映画。それももちろん楽しいですのが、今回の旅行で釜山の町、作り出される風景の魅力を初めて知ったのでした。山肌に広がる明るい壁色の住宅は、奔放な南の雰囲気いっぱいですし(ソウルはレンガ色の住宅が密集するタルトンネが多いような)、そして日本統治時代の建物もモリモリあることも、歴史の深さや重さも。

1時間ほどこの通りを楽しんだ後国際市場へ移動してお昼を食べ、活気を肌で感じながら散歩。その後日本人居留地だったという草梁洞(チョリャンドン)を目指しました。

 

 

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2 Comments
  1. 統治時代の記録本などを読むと釜山って頻繁に登場するし、重要な位置を担っていたとありますね。確かに市場行って海鮮食べて買い物して、それだけじゃもったいない場所なのかも。りうめいさんの記事を読んで予感が確信に変わりました。いつもながら素晴らしい筆力、読んでいて引き込まれます。
    続きも楽しみにしています。

  2. ありりんさま
    お返事遅れすみません!
    釜山、おっしゃる通り歴史深いところですよね。
    50年代の避難民の生活から生まれたテジクッパやミルミョンといったご当地グルメ。
    釜山を点と点で動いていた頃に比べ線で動くといろいろなものが見えてきますね。
    今ポモサ駅をすぎたところです!

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