釜山・その他の建物

釜山に行ったら見ておきたい建物の一つ、草梁(チョリャン)洞日式家屋は2007年に登録文化財第349号に指定された日本家屋です。釜山駅から一つ目の駅草梁(チョリャン)駅から歩いて5分くらいだったか、店の並ぶ通りを一歩入った路地にあります。現在は一麦文化財団という団体が管理をしていて、改修のために中には入れません。なので写真がほとんどないという。それでも実際見に来れてよかったです、建物の保存状態の良さと大きさを感じることができましたし。

 

P3024469

 

このコンクリート壁、とても印象的ですね。建物は1925年に建てられ、1931年、1945年以降に増改築を繰り返し今の姿になりました。田中家屋と呼ばれるこの建物は、釜山の土木工事で名をあげた田中筆吉の家です。草梁とそのお隣の釜山鎮(プサンジン)エリアは昔は海。埋め立ててできた土地に日本人が多く移り住み、鉄道敷設も進んで新しい市街地が形成されました。田中筆吉は日本で北陸線、関西線、舞鶴軍港工事などの仕事をこなし、釜山にやってきて京釜線新設工事を請負い、その後鉄道局から埋め立て事業の仕事も請け負って田中組を大きく育てました。

 

P3024470

 

セコムしてます。大きな表札には一麦文化財団と書いてありますね。一時期財団の事務所としても使用されていました。ちなみにこの文化財団、景福宮の西村(ソチョン)エリアにある保安旅館も保存、運営しています。裕福な個人や企業が近代建築の保存に力を入れているのはありがたいことですね。

 

20130416_095631

平面図、一番左が1925年、真ん中の2階建てが1931年。

 

 

P3024476

 

コンクリート壁より右側が1945年以降に増築された部分。建物の詳細はこちら(韓国語)に写真がいっぱいあります。

 

pusan3-3

 

ここからは、町歩きをしていて気になったものをちょこちょこと。場所はバラバラです。

国際市場。少し視線を上に持っていくと、住宅兼店舗建築なんだなーとわかります。

 

P3024451

 

国際市場近くの富平洞豚足通りの日本家屋、店のひさしが低いですね。それにしても電線がとんでもないことになっている電柱。

 

P3024463

 

豚足通りの向こうにシッカリとした建物が。あれっどこかで見たことあるなあ、どこだっけ、ああ明洞ロッテデパート前の韓国電力公社社屋(京城電気社屋)にそっくり?と近づくと・・・なんと韓国電力公社中釜山支店の社屋。1932年に南鮮電気社屋として建てられ、釜山で初めてエレベーターが設置されたところで有名です。2007年に登録文化財第329号に指定されていますね。ちなみにソウルの韓国電力社屋は登録文化財の第1号で、やはりエレベーターが初めて設置されたところです、さすが電気!

中には入れず残念。こちら(韓国語)に中の写真あります。

 

P3024462

 

道路をはさんで社屋の向かい側にあった碑。大雄電力とあります。社屋と関係あるのでしょうか、調べてみましたが、これっという資料はヒットしませんでした・・・

 

P3024466

 

倉庫。現在は韓国電力公社の食堂として使われています。もとから関連のある建物だったのでしょうか、クリームとコリアンミントグリーンの組み合わせがなんとなくおしゃれ。

 

P3024449

 

国際市場の近くにある釜山近代歴史館。1929年に建てられた東洋拓殖株式会社釜山支店の建物です。1949年からはアメリカ文化院としても使用され、1999年以降放置状態でわびしい建物人生(?)を送っていたのですが、2003年歴史館としてリニューアル、釜山の近代史を伝えています。東拓は日本からの移民と開拓を目的に作られた会社なので、恨みのシンボル度高め。よく残ったなと思う建物の一つです。日本人には(かなり)居心地悪い場所ではありますが、歴史は歴史ゆえ。
一度は足を運んでみるのもいいと思います。

釜山における日本建築物等の利用実態と評価に関する研究」という良質なレポートがあったのでご紹介。レポートにあったスケジュール、かなり細かく役に立ちそうです。

釜山市内には登録文化財は6件なのだそうですね。思ったより少なく驚きました。登録文化財制度も2001年から始まっているのでその歴史自体が浅いのもありますが、韓国で日本統治時代の近代建築を残すというのは難しいこと。保存が決まっても観光資源として面影なくし書割状態になったり、ある日突然なくなってしまったりがよくあるのが実情です。

 

2 Comments
  1. 釜山歴史博物館に展示されている植民地時代の町内地図を頂くことができたのですが、そこには俳優の下条アトムさんのお家も書いてあります。この地図を作った方は博多の方で、お孫さんがこの地図を頼りにお祖父さんが住んでいた地域をぶらぶらしていたら、お年寄り達が寄ってきて、とても懐かしいと言ってワイワイガヤガヤ。当時の話も沢山聞かせてくれたそうです。彼曰く、当時はそんなに険悪ではなかったのではないかと。

    • コメントありがとうございます。
      下條アトムさんゆかりの家があるとは!

      歴史は歴史で、個人史は個人史ですよね。地図を頼りに訪れたお孫さん、祖父の住んでいた当時を知る皆さんとお話をする機会に恵まれてよかったですね。

      ところで、日本統治時代の歴史を紹介した歴史博物館の展示内容や説明が日本人にとっては心地の良くないものであるというのは、個人の受け止め方によっても違ってまいりますが、この釜山は私にとっては木浦の次に早く出たいと思わせるようなものでした。東拓というのもあれですが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です