南大門一等地に住むのは誰?

※再開発により取り壊されました。アウトバックステーキハウスもありません。
写真家藤本巧氏のお話によれば、ここは“日之出荘”と呼ばれていたそうです。またひとつ、ひっそりと歴史が消えました。
(2015.9.21追記)

新世界百貨店本店が三越京城店と呼ばれていた時代に、この建物には一体どんな人たちが住んでいたのでしょう。
地下鉄4号線会賢(フェヒョン)駅7番出口を出て新世界百貨店方面へ進むと、アウトバックステーキハウスが見えます。その横を入って数メートル進むと、袋小路の突き当たりに古い建物がひっそりと建っています。

 

 

規則正しく窓が並び、茶色いプラスチックの庇がアクセントになっています。窓の鉄格子は新しくつけかえられているところもあるようです。

 

 

 

2階建てのこの建物はコの字になっていて、入口のタイルばりの円柱と、円形の飾り窓が目を引きます。できた当時はかなりモダンな建物だったと想像されます。会賢洞、明洞(ミョンドン)、忠武路(チュンムロ)は、かつて日本人が特に多く住んでいたエリアだったためこのような建物がたくさん残っています。今はビルとビルの間の暗いところに忘れられたように建っていますが、モダンな人たちが住む集合住宅だったのか、それとも遊郭(料亭)だったのか…忠武路で料亭っぽい色気を感じさせる建物を見たことがあるのですが、雰囲気がどことなく似ています。

 

 

こっそりと中に入ってみました。天井は低く、小さめのドアがいくつも並んでいます。こういうところは廊下にいろいろ生活用品が出してあるものですが、がらんとしています。

 

 

 

階段を上がると共同炊事場のような空間が。水道とたらいくらいしかないので、ここでごはんを作ったりはしていなさそうです。
体を簡単に洗うところ?簡単な炊事は、一つ一つの部屋の中でできるようになっているのかもしれません。

 

 

突き当たりの部屋からおばちゃんたちの笑い声が聞こえてきました。感じからいくとどうやら花札を楽しんでいるようでした。
この建物には噂によると、南大門市場で闇両替をして生計を立てているおばちゃんたちが住んでいるらしいです、建物と同じくらいの年齢の。

 

 

住人のおばちゃんに見つかったら怒られるかも!と足早に外に出ると、反対側の棟の暗がりからおばあさんが現れました。急いで隠れるように中へ。これからどこへ何を売りに行くのでしょう。彼女はどういう人生を送ってこの古い建物にやってきたのでしょうか、後ろの荷物は彼女の背負う人生より重い?軽い?

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です