大田・旧忠清南道庁舎

大田(テジョン)の旧忠清南道庁庁舎。2012年の道庁移転に伴い今後は博物館としてリニューアル工事が進んでいて、2013年6月末には一通り完了すると聞いています。

 

 

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外観写真、文化財庁より

 

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庁舎1階では4月25日から11月30日まで〝忠清道庁舎、そして大田〟というテーマで特別展示が開かれています。サブタイトルは〝歴史を語る建築〟。ある一室にパネルが並べられたシンプルな展示で、登録文化財に指定された庁舎の建築的意味と特徴、道庁が大田に移転した歴史背景などが説明されています。

 

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大田の旧市街に残る近代建築の位置に昔の写真が。こんなにあるのかあと驚きます。東洋拓殖会社大田支店、大田刑務所の望楼や大田電気株式会社の発電所など重要なところ、今回回れなかったのが残念。

 

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道庁あんまり写真撮る時間がなかったので、ほんの少しだけ。

 

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はあ、すりすりしたくなる。

 

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ここからは、忠清南道庁にまつわる歴史エピソードを紹介しますね。

1896年に韓国で十三道制がしかれ(道は日本でいえば県にあたる行政単位)、忠清北道(チュンチョンプット)と忠清南道(チュンチョンナムド)に分かれると忠清南道の庁舎は、はじめ公州(コンジュ)に設置されました。公州といえば百済の古都。歴史あるところに設置されたのは一理ありますね。

1910年以降、日本によって韓国に鉄道が敷かれると鉄道駅のある新興都市に道庁が次々と移転しました。京畿道庁は水原(スウォン)から京城(現在のソウル)へ、慶尚南道庁は晋州(チンジュ)から釜山へ。韓国の歴史都市から統治時代の新興都市への道庁移転問題は、民族運動、独立運動とも連動して都市間での争いが激しくなり、忠清南道庁の場合に至っては日本の国会(貴族院)にまで飛び火しました。

 

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1932年当時の写真、oh my newsより

ゴタゴタを経て1929年大田への道庁移転がほぼ決まるころ、あらかじめ移転場所をだいたい把握していた人々はそのあたりの土地を買い占めました。ど田舎の麦畑が一万倍の価値を持つ土地になったともいいます。中でも公州の一役人だった金甲淳(キム・ガプスン)は日本統治時代最高の土地長者となり、多額の利益を得て大田市郊外にある儒城温泉の開発をすすめました(彼は韓国では極悪人という評価を受けています)。

1930年に入ると、公州だけでなく天安(チョナン)、鳥致院(チョチウォン)、論山(ノンサン)も誘致戦に参加。紆余曲折を経て最終的に大田に決まるのですが、当時の朝鮮総督斉藤実の命で日本の貴族院にまで大田への移転を訴えたのが、白石鉄二郎(1870~1935)です。

 

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白石鉄二郎、山口県出身。下関市議員、馬関毎日新聞の社長就任、その後朝鮮勧業会社取締役に。1924年に大田面長となり、大田繁栄会会長を務めた人物です。素晴らしいキャリアですよね。下関市の議員にまでなったのになぜいきなり朝鮮へ?

「実はお手伝いさんに手をつけちゃってね、その女性と逃げるように朝鮮にやってきた人なんですよ実は。当時植民地は総督関連のエリートかこっちで一旗あげてやろう的なならず者(?)の両極端でしたからね、飛ばされてしまったんですね。」

と、道庁の学芸員さんがこそっと教えてくれました。私が一番くいついたのが白石鉄二郎だったのは言うまでもありません(笑) お手伝いさんが大田でどんな暮らしをしたのかとっても気になる…

 

で、気になっていろいろ調べたのです。この人物、もしかして幕末の長州藩下関の豪商白石正一郎と関係がある??高杉晋作ら攘夷派の政治活動をサポートして騎兵隊結成にお金を使った人として有名らしい…“白石正一郎・妻から鉄二郎(白石鉄二郎)へ宛てた書簡”という資料が東京にあるらしいのです。

ところで、大田には大東川という小さな川が流れています。そこは白石鉄二郎が面長になり、緊急課題だった大田の治水工事によって整備された川。その時の橋が今でも残っていて、それが東光橋というそうです。橋の欄干に昭和二年(1925年ってことですね)と刻まれているのですが後世に削り取られています。

で、びっくりしたのですが白石正一郎旧宅跡の近くに東光寺がありました。高杉晋作にゆかりある寺だそうで…

白石鉄二郎が故郷を思い出してつけたとしたら。

道庁庁舎の素敵な写真はチェ・イェソンさんのブログでどうぞ!私の後姿が…

 

追記-2013.7.7

その後、下関市にある長府博物館の学芸員さんから以下のような回答を得ることができました。

—-

「昭和十年八月十五日没シ玉フ

白石鉄二郎大人 御父白石東一資東大人・御母林時子ノ君ナリ 明治三年

八月十日誕生、春秋六十六歳、山口県厚狭郡吉田村山内梅三郎長女美和子

ト婚シ八男一女ヲ挙ゲ玉フ、下関市政及朝鮮忠清南道大田府ノ自治制ニ貢

献シ玉フ事多大ナリ、享年六十六歳」

「祖先年表」『白石家文書』抜粋

以上のことから、御質問のあった「白石鉄二郎」は、「白石東一」の息子であることがわかります。さらに「白石東一」は、「白石正一郎」の一人息子です

ので、正一郎からみれば孫にあたる人物となります。

白石正一郎・妻から鉄二郎(白石鉄二郎)へ宛てた書簡は、おばあちゃんから孫へ、ということになりますね。

そして旧庁舎を案内していただいた道庁の学芸員さんにも聞いてみたところ、朝鮮功勞者銘鑑 / 阿部薰 編(1935)の資料一部を送ってくださいました。

それには鉄二郎が療養のために山口町(ママ)豊浦郡長府町松小田に帰り66歳で逝去とあり、孫鉄馬氏が名をついで隆盛を辞さないという表現もありました。八男のうちのどなたかなのでしょう。

竹崎町にあった白石正一郎邸の裏門が松小田というところに移築されて今もあるそうです。

 

 

 

 

 


8 Comments
  1. 今回も読み応えありました。詳しく調べられていて本当に勉強になります。
    忠清南道庁、昔の丸ビルみたいです!やっぱり大田いってみたいです!

    • >ありりんさん
      いつもあたたかいコメントありがとうございます、励みになります!アンドルというカフェを訪れるという小さなところから大田は私にいろいろな気づきというか、ためになることを教えてくれました。
      今回の大田訪問は本当に身になるものになりました。道庁の歴史が統治時代の地方政治機関(?、ていうのかな)というジャンルの面白さを教えてくれましたし、鉄道官舎からいろいろな官舎、舎宅(こういうふうに表現するらしいですね)の存在を知ることになりました。勉強、日々勉強ですね。

  2. こんにちは。大田のeowjsです。先日は拙ブログの東光橋に関する記事にコメントを下さりどうもありがとうございました。ブログ本文の方にお返事を書いておきましたので、お暇なときにどうぞご覧ください。「韓国古建築散歩」すごく内容の充実したページですね。こんどまたゆっくり見に来ますね。

    • >大田のeowjsさん
      はじめまして。ブログ本文に私の幼稚な推測に対する素晴らしいご回答いただきまして、お礼を申し上げるとともに本当にうれしく思います!ありがとうございました。東光山やマウルの存在まで
      資料も含めて、うわーなるほどなあと感動しました。大田の資料には白石鉄二郎はしばしば登場するのですね。そして白石農場のリンゴがもしかしたら景福宮でディスプレイされていたかもしれないのですね。いろいろ勝手に想像して楽しんでしまいます。
      素人が書きたい放題のブログですが、これからもよろしくおねがいします!

  3. りうめい様、こんにちは。東洋拓殖会社大田支店と大田電気株式会社の発電所は大田駅からほど近いところにあります。旧・大田刑務所は中村洞でちょっと離れていますが、道が混まなければ車で20~30分の距離です。数時間あればまわることができると思います。もし大田にいらっしゃることがありましたらどうぞご一報ください。ご案内いたします。

  4. eowjsさん
    大田にeowjsさんがいらっしゃると思うと本当心強いです。オジョンドンの宣教師村?ですかね、韓洋建築のいいのがあると聞いています。大田刑務所での虐殺のエピソードもさらっと聞いて、そんなことがあったのか!と驚いています。
    といいますか、韓国近代史、勉強しないとなと思いつつも太白山脈1巻半分でさじを・・・苦笑

  5. 追記、拝見しました。りうめい様の推理が見事的中しましたね。すごいです。もともと僕のように白石正一郎さんという方の存在を知らなければ鉄二郎さんとの関係についてピンとくることもないわけで、今回の成果はそれをご存じだったりうめい様の知識、そして好奇心と行動力のたまものだと思います(拍手)。ところで追記で言及しておられる道庁の学芸員さんですが、もしかするとコ◎◎さんかアン◎◎さんでしょうか。もしそのお二人なら大田市が近代史資料集を作ったときに僕も解題執筆の一部を担当した関係で会ったことがあります。この方たちもりうめい様に負けず劣らず知識豊富で熱心です。

  6. >eowjs さん
    eowjs さんに拍手がもらえるなんて夢のようです!おっしゃるとおり、コ◎◎さんかアン◎◎さんです。お二人とも眼鏡の。このおふたかたに、道庁閉館したのにもかかかわらずわざわざあけてもらって見せていただくことができたのでした、展示を。
    感謝しています。アン○○氏は珊瑚旅館でギター(ウクレレだったか?)練習するので、と8時ごろ別れました。
    eowjsさんとつながりがあったのですね!!

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