奥田精米所、バージン銭湯

仁川市新興洞にある高層アパートに囲まれた赤レンガの工場。すぐ近くには大型マートのemartがあります。赤レンガ工場のまわりには古い町並みが残っていて、そこだけが本当に取り残されたような雰囲気を漂わせています。

新興洞(シンフンドン)は仁川の開港に伴う精米業が盛んだったエリアで、精米所がたくさん建てられました。また、日露戦争くらいから遊郭が増えて花町と呼ばれていたこともあります。
 
1890年に大凶作に見舞われた日本へ、仁川港から多量の米が輸出されるようになりました。兵庫県出身の貿易商進藤鹿之助は仁川精米所という工場を作り、仁川で初めて機械を導入しました。現在の虹霓門(ホンイェムン)に工場があり、この工場からの黒い煙が入港する船からよく見えたといいます。その数年後、長崎県出身の穀物貿易商の奥田直次郎が、アメリカの商人タウンゼントと一緒に1892年タウンゼント精米所を開きました。技術革新により仁川精米所よりも質のいい精米が可能になり、数字を伸ばし、途中で奥田直次郎だけの経営になったので奥田精米所と名づけられました。

 

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それが今回登場する赤レンガの工場です。1950年以降は高麗精米所という韓国の会社が精米所を経営し、現在敷地内には中古車の業者が入り、建物は食品卸会社の倉庫として使われています。

 
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高麗精米所時代に火事に遭ったので規模は縮小しています。使われていない部分も結構あり、つたが絡むのに任せています。つぶして高層アパートを建てないのが不思議なくらい。

 

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時代から取り残された町には、京城電気会社のプレートが貼ってある木の電柱があります。この電柱は探すのに本当苦労しました(涙)。スクラップ屋さんの横にある細い路地を入っていくとあります。ちなみに京城電気会社の社屋はウルチロのロッテデパート前にある古い建物。1928年完工で、現在はそのまま韓国電力の社屋になっており、記念すべき登録文化財第1号に指定されています。

 

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この電柱の近くに「処女沐浴場」と書かれた古い煙突があります。つまり「バージン銭湯」とでもいうのでしょうか。建物はなく煙突のみが住宅街にぽつんとあります。資料によると1941年くらいに開業した銭湯だそうで、当時精米所で働いていた女工さんたちが出入りしていたということです。

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1932年くらいには仁川には16の精米所があり、周辺に1,300人ほどの女工が住んでいました。1945年の終戦後もこのあたりの地域の主要産業として精米業は盛んで、1980年代まで続きました。その後は開発により高層アパート、大型マートが建設され現在に至っています。チャイナタウンや、日本人町だった一帯は近代建築物が保存、修繕されて仁川を代表する観光地になっています。それにひきかえ仁川の産業を支えた新興洞あたりは、人々の記憶から忘れ去られたまま、ひっそりと古い町並みを残すのみ。とても対照的です。この町もそう遠くはない将来に、全てアパートに変わることでしょう。

 


2 Comments
  1. >ありりんさま
    書き込み本当にうれしいです、ありがとうございます。
    “忘れられたまま”という表現通り、残っていってほしいものです。赤レンガの工場、これって近代産業建築だと思うんですよねえ。

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