あの路地に行きたい(日本語版)

先日ご紹介した「近代文化遺産都市旅行」で3つの記事を寄稿しているランスキー先生こと金蘭基(キム・ランギ)氏。先生を知るきっかけになったのは、大韓帝国時代、宮中建築家として活躍していたロシア出身のサバティン(イワノビッチ・セラディン・サバティン。サバチンとも)です。徳寿宮(トクスグン)近くにある、サバティン設計のロシア公館に行った際、秘密の地下通路の入り口を確認したくいろいろと調べていて先生のブログにヒット。あまりにも詳細な資料の内容に、これはすごいものを見つけたと興奮したものです。

 

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韓国のDOCOMOMOの立ち上げに関わり、韓国歴史文化政策研究院という近代文化遺産の保存運動などを行う団体の代表。フェイスブックをメインにして情報発信をしながら、月数回仲間を集めて歴史ウォーキングツアーを精力的に行っていらっしゃいます。1年で30回を越えたそうです。

私は今年5月の鉄原(チョロン)のツアーで初めてお会いしました。仁寺洞(インサドン)のベーカーリーショップで、川村湊著の「妓生〜もの言う花の文化誌」の韓国版を見せながら、他国の人が書いた韓国の歴史本を読むのは非常に勉強になりますと、にこり。木浦(モッポ)でランスキーチームとカフェで待ち合わせをするも、途中光州で活躍する写真家の方と写真を撮りながら来たら遅くなっちゃった!とニヤニヤ。食堂では食堂のおばちゃんたちにひたすらいたずらっぽく話しかけ、注文は人任せ。

フェイスブックの友達数は4,000人に届きそうですが、フレンドリーな建築博士は、誰にでも等しくマメにコメントやレスをつけ、小さな質問にもよく答えてくれます。

 

さて、長くなってしまいました、すみません。「近代文化遺産都市旅行」のうちのコラムをご紹介します。「あの路地に行きたい」の編集前の原稿をいただき、少々私のほうで手を加えました。へたっぴな訳ではありますが、以下のせます。写真は全てランスキー先生提供。カムサハムニダ。

 

近代建築の広い地平

近代建築遺産は、イコール伝統建築物といってさしつかえないだろう。約100~150年前に出現したものを指し、西欧から入ってきたものや、西洋の教育を受けた人々によって設計、あるいは建てられたものを言う。近代遺産は建築物が主流だが、その範囲は近年広くなりつつある。鉄道や工場などの産業遺産や、ダムやトンネルなどの土木遺産、そして韓国独自ともいうべき昔の太極旗や書籍、生活用品などの生活遺産が含まれる。こういったものを見て回るというのは、とてもためになるだろう。今回は、まち歩きの幅が広がるアドバイスができればと思う。どこにでもある、至って普通のもの、今まで当たり前すぎて見過ごしてきたもの、けれどもとても大切なものを。

 

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その地域独特の風景や、自然の恵みによってできあがった村や町を歩くということは、伝統と近代の垣根を越える。済州島の溶岩の石垣は、この地域だけの独特な風景を形作っている。

 

名もなき建築と都市について

西洋の建築論は都市と建築について、「公式的見解」としてその誕生を、よく整備された野外劇場でオーケストラが演奏する音楽に例えた。名もなき建築と都市に対する無関心は、オーケストラの演奏前には音楽自体が存在していなかったというのと同じことである。西洋史では、せいぜい200年かそこらの建築を公式的に建築として認め、それ以前の建築は建築ではなく、都市が都市でないかのように扱った。建築史は、西洋建築家の偏見によって取るに足らない住宅、自然発生した路地や通りについて、それらを形作るコミュニティを切り捨ててきた。特権者による、特権者のための、特権者の建築ではないという理由で。

 

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全羅南道の康津(カンジン)郡のピョンヨントルダムマウルは伝統的な村落で、地域色のある石垣を見ることができる。適度にカーブを描く小道で人々の視線が往来する。

このような認識は現代においても変わらないが、奇跡的にも名もない建築や、町や村の路地は今も存在する。いまだに残る、名もないものに一体どんな名前を?風土的、無名の、土着的、田園的、あるいは自然発生的と言えばよいのだろうか。今も残る町や村と路地、そしてそことに存在する建築について、私たちは正しくとらえることなく、偏見のまなざしを向けている。

 

棚田や古い路地裏に思いを馳せてみよう。その中には強い力を持ったコミュニティが存在する。バーナード・ルドフスキーは「建築家なしの建築(1964)」の中で、コミュニティ建築は少数の知識人や専門家の手によるものではなく、共通の体験、文化や歴史を持ったコミュニティにおける住民全体の、自発的かつ持続的な活動によってつくられたコミュニティの芸術だと定義した。

建築と都市、コミュニティと路地が専門家の芸術となる以前に、歴史の中に残る無教育の建築家は、自らの建築を自然環境の中に溶け込ませる驚くべき才能を発揮した。彼らは現代の建築家と違って自然を征服するという考えは持たず、気候と地形を受け入れ、険しく複雑な土地を求めた。そういった先人の才能をこの目で確かめるのも、まち歩きの醍醐味とも言えよう。

 

 

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全羅南道の麗水(ヨス)市にあるコソマウルは、海岸都市の傾斜にある町の姿を見ることができる。だが急な坂道に人工的な装飾を施し、イベント的に壁画を描いたために少々ぎこちない風景になっている。

 

路地について 

ran09道は人々が通ってできるが、一人の人間が一度通ってできるものではない。そして計画通りにできるものではない。人は道のないところへと進むとき、自宅や町、村から出発する。その行為は何度となく繰り返され、また別の町、村へ、仕事場へと向かう。ある人は無意識に自分が最も通りやすいと思う道を歩き、しばらくするとそこを追う人が出てくる。前行く人の残していった不便さを少しずつ取り除きながら。そうこうするうちに最良な道ができあがっていく。足跡がそのうち道となり、足跡の多い道を人々は好んで歩くようになる。

路地は自然のような営みが行われる場所となり、コミュニティの性格を帯びる。人々が歩く道を人が歩き続けるうちに町、村の動線が生まれ、そこに家が建ち町、村は形づくられていく。そこにまっすぐな道というものはない。なぜなら道は地形や樹木、そして水の流れに沿い、ある時は流れを避けて作られるものだからだ。上り下りの坂になることもある。階段があらわれ手すりも作られる。都会の人々はその路地に集まって暮らしながら、生活のルールのようなものを作り上げ、守るために助けあう。農作業や秋の収穫、井戸を掘ったり水を引いたりして相互扶助する。そういった慣習と人々の知恵が溶け込んだ路地を歩いて、コミュニティというものを肌で感じとってほしい。

路地は個を縛らずに権利を尊重する。大勢でいてもそれぞれに等しく権利を与えてくれる。と同時に「共に」に何かを行う責任と、一緒に負うべき義務を与えることも理解しておきたい。

 

新作路※1(旧道)について 

道路は、人間が作り出した速い物体が通り過ぎるところである。ドイツの教育哲学者オットー・フリードリッヒ・ボルノーは著書「空間と人間」の中で、「道路はふるさとではないため」、とどまる場所ではないと述べた。言い換えれば、路地はとどまる場所だと言える。道路は、人間を前へ前へと押し進める。道路では、目的地を定めて最短時間内に最速で行くという行為が存在するのみである。目的地の存在を強調する道路は、人間がいつでも最速で行くための備えであるにすぎない。そのため道路では人間は常に焦りを覚え、急がざるを得ないという強迫観念にとらわれてしまう。

 

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しかし新作路はそういった道路とは異なる。正祖(李氏朝鮮第22代国王)が荘献世子(李氏朝鮮の第21代王英祖の次男で、正祖の父にあたる)を参拝するために歩いた新作路、済州島の観德亭へと続く三南大路(サンナムデロ)、そして科挙の道である嶺南大路(ヨンナムデロ)は前へ速く進むことを強要しない。途中で休むことも止まることもできる道。このような道は、重要な近代遺産として歩く価値があると言えよう。

 

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新作路とは、本来李氏朝鮮後期正祖(李氏朝鮮第22代国王)の時代に整備されたソウルから南へ続く道路のことを指しますが、日本統治時代に新たに整備された道も新作路と呼んでいます。文章では正祖が出てくるので、前者の李氏朝鮮時代の道ということになり、日本語のニュアンスとしては旧道といったほうがなじむかと思われます。

三南大路はソウルから済州島まで続く道です。忠清道の天安(チョナン)で二手に分かれ、一方は天安の中心から南東に位置する竝川面(ピョンチョンミョン)を抜けて淸州(チョンジュ)、忠清北道の南部の永同(ヨンドン)の秋風嶺(チュンプンリョン)を越えて嶺南(ヨンナム、慶尚道)地方の金泉(クムチョン)、大邱、慶州(キョンジュ)、東萊(トンネ、釜山)へと続きます。もう一方は公州(コンジュ)、論山(ノンサン)を抜けて湖南(ホナム、全羅道)地方に入り、全州(チョンジュ)、光州(クァンジュ)、順天(スンチョン)、麗水(ヨス)へと続きます。道は官吏一行や科挙の試驗に向かう学者、行商人などが行きかっていました。

 

韓国語のマウル(村、町、街)、トンネ(町、街、町内)、コリ(通り、ストリート、街)、コルモク(路地、通り、横道)。難しいですね、ぴたっとできないわ。
 
 
 

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2 Comments
  1. 明日のために予習をさせていただいてまーす。こんな凄い方々とご一緒できるなんて、なんて素敵!どきどきして眠れなさそうです。

    • ありりんさん
      本当に素敵な一日でしたね。
      私が大好きな方々と、下町路地裏探検ですからもうにやけっぱなしでした。そして恐れ多いほどよく書いてくださったブログ!
      あの鯛焼きはナイスでした、どうせならアンコとキムチなんかにすればよかったかな!
      今度はソウルであんな風にお散歩できる日が、早く来ることいいな。
      これからもよろしくおねがいします。

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