羅州・羅州蚕糸株式会社跡

羅州(ナジュ)にある製糸工場が、だいぶ長い間放置状態になっているということを知りました。正式名称は羅州蚕糸株式会社。1910年に建てられたと推定される、赤レンガの建物です。調べていたらランスキー先生が、ドコモモコリア会員らと羅州の近代建築を見てまわるというブログ記事がヒット。さっそくランスキー先生に場所を聞いて行ってきました。

 

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穏やかな田舎の日常の中に、存在をまるっきり忘れられたかのように建つ工場。全国最大の製糸生産地として、最盛期にはこの工場で千人近くの人が働いていたといいます。日本統治時代、朝鮮総督府による製糸業奨励の歴史の流れを受けたこの工場は、近代産業遺産として保存する価値が十分あると考える人も多くいます。どのように建物を活用していくか、今はまだ手探りの状態のようです。

 

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工場の前には小さな川が流れ、フェンスに囲まれた草地、脇には真新しい駐車場がありました。現在の土地の所有は、羅州信協(信金のような金融機関)。羅州蚕糸株式会社の元社長・会長であるキム・デヒョン氏が信協の理事長をつとめており、市民公園造成のためにと工場の敷地の一部を信協に寄贈しました。

工場の一部が壊されて駐車場になりましたが、近代産業遺産として建物の保存を考える羅州市がストップをかけました。予算や人々の理解、建物再生プロジェクトの具体的な推進力が不足なのか、現在は保留=放置状態になっています。信協もどう動いていいのかわからない状況なのか、公園造成予定地をそのままにしているようです。

 

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わかりやすい入り口は見当たらなかったので(基本立ち入り禁止でしょう)、草地のフェンスを越えて潜入(あくまでも自己責任で)。韓国でこういった古い産業施設に入るのはなかなか機会がないですね、江華島の朝陽紡織工場跡を訪れたときの感動に似たものがあります。のっけからこれは渋い!と思わずうなってしまう産業機械が出迎えてくれます。一体何に使われていたのでしょう?

 

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少ないながらもネット上の資料を参考にすると、羅州に住んでいた日本人千賀という人が羅州蚕糸株式会社を設立、生産量を伸ばしていきました。日本人経営による製糸工場が2つあったということです。

全南羅州附近のみに於て内地人家蚕飼育者百二十戸の多きに達せるあり内地人農家の飼育者多きことは附近朝鮮農民に善良なる感化を与え朝鮮人の飼育者も従って増加する状勢にあり又慶南密陽附近に於ては寒天製造業者が労力の利用上家蚕飼育を為すもの甚だ多く昨年の如きは其結果同地附近のみにて桑苗三十万本を植栽し本年も亦二十万本内外を植栽したるが如き景況に在り此外果樹園経営者にして養蚕を副業とするもの亦少からず此等は僅に一二の例に過ぎざれども全鮮を通じて此盛況にある…

京城日報 1917.8.20(大正6)

1917年の時点で、日本人養蚕農家が120戸というのですから驚きの数字です。

 

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ある意味この建物の主といってもいいのではないかというくらいの、荒れた産業機械たち。

 

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1969年10月まで読めます。韓国蚕糸機会株式会社。

1945年以降日本人がいなくなり、1950年~53年の朝鮮戦争を経て、残されたインフラを利用して再生産が始まりました。1946年から羅州製糸工場を運営していたキム・ヨンドゥ氏は、1954年に羅州蚕糸株式会社を設立して日本産の機械52台をこの工場に設置。蚕糸業は、1960年代に推進された経済開発五ヵ年計画によって大きく発展、1967年~1971年に最盛期を迎えました。1969年10月頃、この機械は休むことなく稼動していたのでしょう。

 

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赤レンガの棟を左手にして、さらに奥に進みます。

 

 

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どの棟がどういう機能を持った棟だったのか気になります。

 

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一大産業として栄えた蚕糸業に大打撃を与えたのは、1973年から始まったオイルショックでした。1975年以降在庫がだぶつき、少しずつ繭の生産量が減っていきました。また、産業構造の変化とともに人は都市へと流出、人材確保が難しくなった工場は日本から最新の機械を導入したりとがんばりました。しかし、1990年代に入ると赤字が3億ウォンになったと二代目社長、先ほど紹介したキム・デヒョン氏は回想しています。

 

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いつ閉鎖になったのかは正確にはわかりませんが、1996年くらいまでは稼動していたそうです。

 

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日本の富岡製糸場は、明治政府が日本の近代化のために設置した模範機械製糸場で、現在世界遺産登録をめざしています。製糸工場で働く最下層の人たちの苦労が近代化を支えました、そのこともしっかりと後世に受け継いでいかなくちゃなあと思います。
羅州蚕糸株式会社は、日本の統治によって日本の経済のために養蚕業、製糸業を発展させられた、という日本人からすればなんとも複雑な気持ちになる近代産業遺産です。韓国の近代化の基礎は、この時代に作られた、だからその後の発展は日本が…と近代化肯定論に先急ぎがちになるものですが、そのことを認めたり、受け入れたりするのは韓国側からすれば本当に難しいことでしょう。ネガティブな態度をとることがひとつのアイデンティティでもあるわけで。

けれども、それも歴史だし、かけがえのない財産なのだと考える人も増えつつある時代にもなっているのを実感しています。日本人としていろいろ言われても、なるほどねーと向き合って一緒に考えていきたいなと個人的には思います。いろいろ嫌な思いをすることもあるけどね!

 


 
 


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