1937年雑感・「朝鮮と建築」より

-「朝鮮と建築」 1937年7月号 K.S.K生

京城に住み始めて三ヶ月ばかりようやく京城の空気ものみこめて来た。新しく住み始めた土地から受ける印象は、何かにつけて著しい、あるいは興味あるいは興味以上の或物を感じさせずにはおかない。
八年間も東京に住んでいた私には、京城の市街は別に大都市としての強烈な印象は与えないが、釜山や平壌に較べると、いかにも大都市としての面影は感じさせる。確かに政治の中心、商工業中心としての都市のみが持つ独特の、いきいきとした雰囲気を感ずる。朝鮮のいかなるほかの都市ももっていない雰囲気である。

いうまでもなく、そのすべてが満足すべき高度にまで発展し整理されているかは別問題であるが、とにかく、建築や道路、交通機関、それから人間の動き等が極めて活気を帯びていることは争われない。
概括的に漠然とした印象はこれくらいにして、私は京城から受けたここの印象について、いわば覚書程度に書き記したい。

 

 

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京城駅

先ず私は、京城駅に着く、大きくたくましくはあるが幾分鈍重な三等車から開放されて、プラットフォームに降りる、プラットフォームの床面が内地のに比べると非常に低い。そのため内地のよりも大型な列車の背が一層大きく威圧的である。
東京の省線電車のような軽快敏活な乗降は出来ないが、非常な力強さと頼もしげな様子である。フォームの屋根の高いのも雄大な感じである。

私は大勢の人々に混じって駅の外に出る。ここはどこも同じ駅前風景である。私は右往左往する自動車や人垣の間をかきわけて真直ぐに広場を横切る。

振り返って駅を見る。建物は非常にこった意匠である。一見するとルネサンス式らしい。尤もルネサンス式建築と云っても、イタリヤルネサンス式、フランスルネサンス式、其他ドイツ、イギリス等のもそれぞれルネサンス式の建築あり、其間には相異もあるのだがから、京城駅の場合もなになになにルネサンス式と云わなければ、このルネサンス式は住所不定にあるわけであるが、サテそれではと見直すとなかなかむづかしい。

 

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写真はこちらより

 

とにかく欧米諸国のルネサンスのデイテールを独自の手法によつて組み合わせたものであることはわかる。そして大さの点を除いてどことなく東京駅と似ていることに気がつく。

 

 

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一体この建築はどんな意図の下に作られたのであろうか?半島の首都そして十分な内容と外観とを盛ろうとしたことは確実である。この目的からして、京城駅のどことなく東京駅に似ているということは、ひとつの大きな目的の達成を意味しているに違いない。この建築が落成したのはいつだか詳にしないが、たぶん大正年間であったろうと思われる。当時の建築界の状況としてはやむを得ないのではあろうけれども、今にして思えば、建築的理念の開拓によっても少し進歩的な建築が得られなかったものであろうかと残念である。

 

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中略…京城駅の場合尤も大きな不利な条件は、その大さにおいて貧弱であるためではなかろうか。たったあれだけのヴォリュームの中にあんなに多くの曲線群を使用した結果は、はなはだしい混乱を惹起することは当然である。これに加えて曲線群を構成する素材が、すでに度を失っていることは、結果を一生紛糾に導いている。

 

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とにかく京城駅は、どうみてものびのびしていな、そしてひからびている。

若しあの隣りに、白色のタイルで清潔なエレヴェイションを持った駅があって、そこから同じ列車に乗れるとしたら、私はルネサンスの駅からは決して乗らないであろう…

 

※「朝鮮と建築」、1912年創刊の朝鮮建築会編集の雑誌。当時の建築界の様子を知ることができる

 

と、こちらのコラムニストは東京駅に似せて作っているようだけども、ボリュームと様式がアンバランスでひからびていると京城駅をけっこう辛口に評していますが、どう思われますか?

しかし、となりにタイルではないけれどガラス張りの駅が67年後にできているので、未来を予測していますね!

手付かず(放置ともいうかな?)の昔の様子は、こちらの記事の終盤の写真を見ればうかがうことができます。この写真は大変貴重だと思います。

 

またまた最後に抜粋になりますが、「韓国の近代建築」という本から以下、どうぞ。

 

-ソウル駅は単純な駅舎というわけではない。汽車に乗ってソウルにやってくる人々は、西洋の顔を持ったソウル駅の姿を見て、はじめて自分が近代都市ソウルに来たということを実感した。幾何学的な国際主義様式ではなく、中世ヨーロッパの外観を持っているというのに、当時のソウル駅は近代そのものが凝縮された

空間を持つ建築物として記憶された。それは近代がイコール西洋であり、西洋が近代であったためである。西洋的なものがイコール近代であるという認識が漠然としていた当時、西洋建築言語によって建てられたソウル駅は経験的次元において、近代そのものとして認識された。

建物中央に取りつけられた時計、広いホールとエキゾチックな外観、そして駅舎の中の人々の動き。ソウル駅を構成するこのような要素は、駅を出てから経験するであろうソウルという近代都市の体験を、予め見せてくれたのであった。

…1925年に新たに建てられたソウル(京城)駅の正面には大きな時計が取り付けられた。それ以前に1901年に竣工した漢城電気株式会社社屋にも時計塔があった。当時の時計はただ時を告げるだけの装置ではなかった。それは近代の顔であり、近代的な時間の中で生活しろと命令する命令機械だったのだ。

この命令の中で人々は絶え間なく時計を見て時間を確認し、タイムスケジュールに沿った近代的な生活をすることに体を慣らしていったのであった。

2 Comments
  1. こんにちは、楽しく拝見させていただいています。

    この手の、明治の建造物のようなものが好きで、私のいる名古屋にも「名古屋市制資料館」というのがあり、はじめてソウルへ行った時に、「ソウル駅」「市庁」「旧韓国銀行」など、明治っぽい建物があるのに興味をもって、二回目、三回目にソウルを訪れた時に見に行きましたが、まだ、ソウル駅の中に入れていません。

    歴史を知らない無知な私は、日本に帰って、韓国語の先生に「日本と似てる建物があって、なんでだろう?」と言ったところ、「日本が占領している時に建てたんですよ」と言われ、恥ずかしい思いをしました(^_^;)

    その後、調べてみると「東京駅」「旧ソウル駅」「名古屋市制資料館」ははやり建築時のスタッフに共通点があるようでした。

    今度ソウルに行く時は、必ずソウル駅の中も見てみたいです。

    • えっぴ様

      返信遅くなりまして申し訳ございません。
      明治の建物、いいですよね!重厚感漂うものが好きです。
      旧ソウル駅はギャラリーとして利用されており、気軽に入ることが出来ますので
      機会がございましたらぜひ!
      本日その駅舎の近くに、1970年に作られた高架道路を公園として再生させた「7017ソウル路」という
      ものがオープンしました。こちらもあわせてぜひ。

      1970年代の

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