羅州・旧錦南金融組合他

羅州のもうひとつの繁華街、錦城洞(クムソンドン)にやってきました。繁華街といっても、大変のどかな田舎町といった感じです。目当ては1907年に組織された旧錦南金融組合の建物。日本統治時時代に作られた組合で、1930年代に建てられたという建物は現在コ・ジョヒョン外科という病院になっています。

1945年以降は、一時期羅州邑事務所として使用されていました。

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木造の1階建てで、レンガの外壁。正面入り口上部の壁に西洋風の紋章がいくつもあり、4つの長い窓の上にも一部落ちてなくなってはいるものの花の文様が見えます。

 

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手作り感があるといいますか、垢抜けないもっさり具合に好感が持てます。しかし当時は、この近代建築の出現が与えたインパクトはきっと大きかったと思います。

 

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現在は、もう少しなんとかできなかったのかという建物の使われっぷりです。大田の旧産業銀行大田支店に入っている眼鏡ショップを思い出しました。

 

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キュートなハート。この前には椅子があり、なんでも「愛の金融椅子」という名前で、市民の憩いの場所となるように“羅州文化連帯”という団体(市民団体かな?)が作ったものだそうです。特にこの建物は登録文化財や史蹟に指定されているものでもないので、このようにハートを

描いても大丈夫なのでしょう。

 

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コ・ジョヒョン外科の建物の近くは、羅州コムタン通りとも言われ、ポツポツとコムタン(牛骨でだしをとった濃厚なスープ)の店があります。羅州コムタンは1905年創業で、お客さんがひっきりなしに出入りしていました。羅州に移り住んだ日本人は食べていたのでしょうか。この通りは羅州の観光スポットである錦城館(クムソングァン)から錦城橋(クムソンギョ)までのびる真直ぐな道なのですが、日本統治時代は本町通りと呼ばれ、にぎやかだったそうです。

 

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時間があまりなかったので、ゆっくりまわれず。残念。

 

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羅州は全羅道の羅という字からもわかるように、全羅道の中心都市(もうひとつは全州)で行政・軍事・地理的拠点でした。錦城館は羅州牧(牧は高麗時代の893年から朝鮮王朝が終わる1910年まで続いた行政単位)の客舎で、1487年~1489年の二年間、牧使(牧を管理する首領のこと)だったイ・ユインという牧使が建てたものです。客舎は中央(つまり現在のソウル)の国王への忠誠と礼を尽くすための、毎月1日、15日に開かれた宴を開いていた場所で、中央から来た役人が休む場所でもありました。現在の錦城館は1976年に解体、復元され、左右の東翼軒(碧梧軒)、西翼軒は2004年から4年かけて復元されたものだそうです。

歴史をまったく知らないので、こういった朝鮮時代の建築物に正直あまり心動かないのですが(といいますか、うお!と興奮しないという意味で)、ここは別でした。建物のたたずまいが素晴らしい。吸い寄せられるように中に入りました。

 

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朝鮮時代の大らかな、素朴で落ち着いたなんとも言えない空気が漂っているのです。かっこいい。

 

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野球少年たちが休んでいました。ここを見て確信しました。私はこういった柱だけで建つ、楼のような建物が好みなのだと(笑)

 

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というわけで、地方都市のこういった建物も時間があったら見てまわりたいな、と今回の羅州で初めてそう思いました。今までは観光スポットでとりあえず見ておきましょう的でなんとなく退屈に思っていたのですが、これは自分に意識の変化があったのか。

 

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さてさて、戻りましてお次は旧羅州警察署です。本当に普通の田舎の通りに忘れられたように建っていました。しかし登録文化財第34号に指定されています。1910年という早い時期に立てられた警察署という意味が大きいかもしれません。こちらも先ほどの金融組合と同じく、どこかもっさりした車寄せ、垢抜けない装飾ですが、こちらもやはり当時は人々に権力の象徴として恐れられたのだと思います。

 

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中に入ると、全南肢体障がい者協会などの団体がいくつか入っていました。

 

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この警察署で、民族独立運動をした人々が拷問を受けたということです。下の地図はコ・ジョヒョン外科を中心にしています。

朝鮮時代羅州の中心だった場所に日本人がやってきて、街をまったく作り変えてしまったのかと思うとこれまたなんとも複雑な気分になりました。日本統治時代に錦城館やその他歴史ある建物たちはどういう扱いを受けていたのか。今回の旅はそんなことを考えるきっかけとなりました。そうか…そうだよなあ。景福宮は朝鮮博覧会の会場にもなりました、いろいろな建物が壊され、挙句の果てには総督府が建ちました。徳寿宮は西洋風の建物がどんどん建てられました。昌慶宮は動物園や遊園地に、歴代の王を祭る宗廟は草がボーボーでした。

羅州、今度はゆっくりと巡れたらなと思います。

 



  

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