京マークのマンホール蓋

戦争記念館の最寄り駅である地下鉄4・6号線の三角地駅近くは、龍山(ヨンサン)エリアで古い日本家屋がたくさん残っています。最近はものすごい勢いの再開発により、どこもかしこも高層マンションが建てられていますが、駅の8番出口からすぐの高架道路の下に平行して続く通りはなぜか古い建物が並んでいて独特な雰囲気が漂っています。統治時代は末広町と呼ばれていました。下の一枚目は現在の陸橋から見下ろした風景、二枚目の写真は何年のものかちょっとわからないのですが、高架ができる前のもの。大きな通りがあった(二車線、二車線)ということはわかります。
ちなみに、今ある陸橋を渡ってすぐ左側にあるお店「文培洞ユッカル」は三角地に来たら是非いってもらいたいお店。ユッケジャンにカルククス(韓国風うどん)を入れて食べるユッカルは一度試す価値ありですよ。

 

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古い建物が並ぶ通りでひときわ目立つ重厚で優雅な雰囲気の建物。昔は大きな通り沿いにあったということになります。だいぶディティールに凝っているので金融系の、たとえばどこどこ銀行の龍山支店だったのでは?と勝手に想像しています。2003年に行ったときは有刺鉄線で囲まれてただ放置されていた状態でしたが、ネイバーのストリートビューで検索したところいつのまにか焼肉のチェーン店になっていてうれしく思ったものでした。2011年11月にこの建物を再び見に来たときは、建物の後ろの増築に驚いたものです。ちょうど中休みで人もいなかったので思い切って中を見させてもらうよう頼みました。そのときの写真はアイフォンで消してしまってありません。内観は韓国の方のブログから借りてきたものです。

 

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中のどっしりした柱や、二階に上る階段の手すりのアイアンアートはすばらしいものでした。店の人も階段の鉄の手すりは、これはさすがに残さなくてはと思ったそうです。詳しいことは店の人が主人ではないためよくわからないとのことでしたが、リフォームする際に地下室があることがわかって、それはなくしたそうです。

 

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陸橋を渡る前にちょっと地面に注目。ここに京城時代のマンホールの蓋があります。まんなかのマークが漢字の「京」をモチーフにした京城府の紋章で、少なくとも67年以上はここに存在していることになる、と考えてもよいのではないでしょうか。この京マークは、西大門刑務所のレンガ畳のレンガでも見たことがあります。

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ちなみに京城時代のマンホールの蓋がもうひとつ、ゲストハウス「剛の家」にあります。ゲストハウスは日本家屋がたくさん残る厚岩洞(フアムドン)にあり、近くの道路に小ぶりのものがもうひとつあるということがサイトからわかったので、機会があれば見に行ってみようかと思います。ところで日本でも戦前のマンホールの蓋マニアがいるのですね…。路上観察でおなじみの林丈二氏はマンホールの蓋本も出していました!ああ、やっぱりそうか!トマソンシリーズもなつかしいですね。東大のマンホールの蓋探しも一度してみたいものです。

京城のマンホールの蓋を見るたびにいろいろ想像してしまうのです、もしかしたら100年以上前からいろいろな人が踏んできたかもしれない、そして少なくともそのような昔から水道が通っていた、そしてそれはどこまで地下でつながっているのか…朝鮮戦争のときはどんな風景の中に存在していたのか…なんで今まで交換されることもなくここにあるのか…


4 Comments
  1. 2008年9月、私が初めて韓国を自転車で一周した折 、偶然にこの記事にあるゲストハウス「剛の家」に3日間お世話になりました。ご主人が長渕剛が好きでゲストハウスの屋号にする程日本の文化にも興味をお持ちでこのマンホールにも案内して頂きました。その時私が父の話をすると、良い資料があると言って横49センチ縦53.5センチの「大京城明細図」を見せて頂きました。制作年日は不明ですが三色刷りの戦前の京城の町名が克明に記載されている貴重な地図でしたので、私はご主人に是非コピーさせて下さいとお願いすると快諾いただきました。しかし地図が大判のため簡単にコピー出来ないので、ハングルが出来ない私のために店員さん宛に手紙を書いてもらい光化門の教保文庫まで雨の中自転車で往復しました。
    ところでこの地図では民間人居住地区は詳しいのですが、ご案内の龍山や三角地は日本軍の陸軍、憲兵隊の基地、補給所、鉄道省、鉄道病院が展開していた所ですので殆んど空白なのが残念ですが、いずれこれらの資料を公開して少しずつ明らかにして行ければと思います。

    • 大彦命さん
      「剛の家」に宿泊されたのですね、偶然ですね!そしてあのご主人は京城の資料をお持ちだったのですね。光化門の教保文庫で同じものを
      手に入れられたということでしょうか?
      龍山や三角地は確かに軍関係が多いので空白が多いのかもしれませんね。大彦命さんのフットワークの軽さと探究心に私も大変刺激を受けております。いろいろとお伺いできることに感謝します。

      • adminさん
         私が雨の中自転車で光化門の教保文庫に行ったのは、[剛の家」のご主人にお借りした三つの文書のコピーのため、更には当時ハングルを読めず、ソウルの地下鉄に乗る術も知らなかったからです。このあと広蔵市場,東大門市場をチョロチョロしていました、今はハングルは読めますので地下鉄に自転車を載せて遠方まで出かけています。バスでも自転車を載せて行きたいのですがソウル市内は運転手さんに許して貰えず、無理のようです。
         ところで、旧京城電気関連施設の中の落書きの写真を拝見しますと、落書きのすぐ上部の壁が欠落した部分から赤土が見えますが、下地は割り竹を縄で編んで赤土さらに漆喰を塗ったものですので時代的にはまだ余裕があった頃の建物ですよね。
        しかし柱の寸法から推量すると本格的な建物ではなさそうなので仮の資材置き場だったのでしょうか?
         それにしては良く持ってますね。材料は松でしょうか?

        • 大彦命さん

          コピーをされに文庫にいかれたのですね。
          落書きの部分ですが、おっしゃる通り壁の欠落部分から赤土、縄、漆喰が見えますね!木の種類までご推測されるとは、見るところが
          こまかくいらっしゃって勉強になります。
          この建物は、京城電気関連の建物なのかは地図からの推測で(三角倉庫という)、ご存じのとおりこのあたり一帯は軍関連施設が多いので
          地図に詳細は描かれておりません。なので実際のところ、どのような用途で使われていたのかが全くわからない状況です。
          落書きもいつごろ書かれたものなのか、謎をときたくて仕方がありません。

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