About

私について
2002年ごろから韓国に残る古い建物や路地裏に興味を持つように。
2013年よりソウル在住。
古い建物や街並みの記録を続けています。

韓国の伝統建築の韓屋(ハノッ)と西洋建築様式、あるいは日本建築様式がミックスされた建物が結構好きです。

 

 

 

20 Comments

  1. 배상순
    2015-06-07

    전주에 있는 소재동에서 지역 리서치 프로그램에 참여하고 있는 교토 거주의 작가입니다.
    고 건축물을 연구하시고 계시다고 하여… 배우고자 합니다.

    返信
    1. liumeiuru
      2015-06-08

      방문 해주셔서 감사합니다.
      사이트를 봤는데 교토에서 예술 활동을 하고 계시군요.
      서울에 오실 일 있으시면 함께 건축 답사 어떠신지오.
      전주는 전북 전주 맞나요?소재동이라고 하면 떠올리는 곳이 대전 철도관사마을입니다.
      전주에도 소재동이 있군요,어떤 프로그램인지 궁금하네요.

      返信
  2. 太田吉宣
    2016-11-05

    こんにちは。名古屋在住です。亡き祖父母と幼少期の父が仁川宮町に在住でした。父は宮町国民学校卒です。この夏一人でその界隈を歩いてみました。中区庁のあたりはよく保存されていると思いましたが、後で取って付けた日本風の新しさは…と違和感を感じましたが…^^;旧宮町辺り祖父母を思いつつチルソンサイダ飲みながら散策しました。こちらを参考にソウルなど巡りたいものです。日帝残滓がなくなる前に…^^;

    返信
    1. liumeiuru
      2016-11-06

      太田様
      コメントありがとうございます。おじいさま、おばあさま、お父さまが仁川宮町に住んでいらっしゃったのですね。神社のあたりは料理屋もあってにぎわっていたそうですね。宮町の様子がどんなだったのかがとても気になります。学校はいつごろできたものでしょうか、宮町国民学校というのは仁川小学校(現在新興小学校)のことでしょうか?ご教示ねがえますでしょうか。

      拙ブログをごらんいただきありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

      返信
  3. 김선희
    2016-12-07

    안녕하세요? 귀 사이트에서 좋은 공부를 하고 갑니다. 요즘 한창 유행하는 각 지자체의 도심재생사업과 근대건축물 활용에 관한 글을 쓰고 있습니다. 기회가 되면 한번 뵙고 싶습니다.

    返信
    1. liumeiuru
      2016-12-09

      안녕하세요,방문해주셔서 감사합니다.요즘 바빠서 포스팅 잘 못 하지만 앞으로도 잘 부탁 드립니다!
      김선희님 블로그는 봤는데 전라나도 여행기가 재미있더군요.
      기회가 있으면 한 번 뵈요!

      返信
  4. 千賀
    2017-11-14

    こんにちは。日本の千賀と申します。偶然こちらのサイトを見たら、私の祖父が経営していた羅州の製糸工場の写真がありビック知りました。亡き父から製糸工場の話と当時の一葉の写真や戦後訪れた際の写真は見せてもらいましたが、現在の様子を見られてよかったです。ただ、祖父が設立した製糸工場の名称は羅州蚕糸株式会社ではなかったようです。ありがとうございました。

    返信
    1. liumeiuru
      2017-11-15

      千賀様

      はじめまして。コメントいただきありがとうございます。ご祖父様が羅州で工場を経営されていたのですね。時代が重なるかはわかりませんが羅州の実業家黒住氏とももしかしたら交流があったかもしれませんね、そのような想像をします。

      同じ写真があったとのこと、工場の名称が異なるとのことで私も改めて資料を確認したいと思います。ありがとうございます。

      返信
      1. 千賀
        2017-11-15

        こんにちは。さっそくの返信コメントありがとうございます。写真の工場は祖父が経営していた工場に間違いありません。このことについては確認済です。名称については戦後払い下げられた方が改めて付けられた工場名になります。父は払い下げ後経営されていた方やご家族と交流していましたし、私もこの方のご家族とお会いしたこともあり、お孫さんともつい先日お会いしたばかりでした。黒住氏という方は父からは聞かされていないので私はわかりません。少しでもご参考になればと思い書きこみさせていただきました。ありがとうございました。

        返信
  5. leah
    2017-12-18

    안녕하세요! 저는 일본의 모대학을 거쳐 서울의 모대학원에서 “식민지시대 조선 어촌에 살았던 일본인 2세(히키아게샤)”를 연구하고 있습니다. 제 연구 대상은 울산시여서 적산가옥 사진을 찾고 있었는데 우연히 블로그를 통해 여러 사진을 봤습니다.
    이렇게 한국에 있는 일본의 옛 흔적을 기록하는 모습을 보니 정말 대단하세요…! 연구하는자로서 많이 자극받고 갑니다^^!!

    返信
    1. liumeiuru
      2017-12-21

      안녕하세요.댓글 감사합니다.
      어촌의 살았던 일본인2세를 연구하고 계시군요!저는 연구자가 아니지만 취미활동을 즐겁게 하고 있습니다.
      2015년에 출간된 “울산 근대를 걷다”라는 책 보며 울산에도 많이 남아 있다는 걸 알게 되었습니다.
      기회가 생기면 책 들고 돌아다니고 싶습니다.

      返信
  6. 小島将督
    2017-12-22

    はじめまして、すばらしくクオリティーの高いHPに感動いたしました。
    その中でも全羅北道の大正町のMAPが見れて嬉しかったです。
    私の先祖は広島から朝鮮半島に渡り藤井歯科医院を開業しておりました、スタッフは朝鮮人の方を雇い
    仲良く生活していたと聞きいていました。その当時を知るものは現存しておりませんが、現在生きている自分として興味がありまして
    メールさせtもらいました。
    もしよければ、更に詳しい倍率で見せていただけないでしょうか。
    お忙しいところすいませんがよければお願いいたします。

    小島将督

    返信
    1. liumeiuru
      2017-12-28

      小島さん

      コメントいただきありがとうございます。ご先祖は歯科医院を全州でされていらしたのですね。
      貴重なお話をありがとうございます。
      ブログの写真は、文化財庁の“博多屋”の報告書からキャプチャーしたものです。
      http://116.67.40.25/NEW_PDF/20120222.pdf
      (韓国語)
      24ページあたりに地図があります。残念ながら細かくは見ることができなさそうです。
      (大日本職業別明細図朝鮮編に全州があったような気もしたのですが、勘違いかもです)

      全州歴史博物館発刊資料に近代のものがいくつかあるので、その中に地図があるかもしれません。
      博物館に地図の原本も所蔵されているのではないかなと思います。
      http://www.jeonjumuseum.org/2008/bbs/board.php?bo_table=jeonju_data2
      (ダウンロードは会員登録を行って以降可能となっていますね)

      このようなお答えで申し訳ありません。今後ともよろしくお願いいたします!

      返信
  7. 池田辰雄
    2018-08-07

    「全羅道・近代建築の旅」を拝見しました。その中に日本から朝鮮に渡った田植太郎という方のことが出ていますが、この人について他にご存知のことはございますか。差し支えなければ田植太郎氏のことをどのようにしてお知りになったのですか。
    大学の文学部(3年)に在籍し、在朝日本人地主のことを調べています。

    返信
    1. liumeiuru
      2018-08-16

      池田さん

      はじめまして。コメントありがとうございます。こちらの記事を書いてから5年ほど過ぎ、その時にどのようなサイトを参考にしたかを
      はっきりと覚えておらず申し訳ないのですが、サンシャインという名の新聞サイトでの湖南地方の近代歴史特集連載記事(こちら探せませんでした)を全て
      プリントアウトして読んだこと、韓国語で다우에 농장と検索していろいろな記事を読んだというところまでです。
      お役に立てずすみません。

      http://www.xn--hz2b17k1ze1ra.com/
      このようなサイトがありますね、地域の歴史に詳しい方とコンタクトが取れるかもしれませんね。
      その地域の歴史を研究している方(博物館関係者でも在野の方でも)の情報がもっとも信頼できるのではないかと個人的に思っております。

      返信
      1. 一松
        2018-08-20

        横レス失礼します。
        すでに検索済みかもしれませんが、韓国紙データベース(http://db.history.go.kr/index.do)や韓国歴史情報統合システム(http://db.history.go.kr/index.do)で「田植太郞」が数件引っかかってきます。
        朝鮮功労者銘鑑刊行会編『朝鮮功労者名鑑』(1936) が元ネタのようで、日本の国立国会図書館デジタルコレクションで見られます。ただし「図書館送信限定図書」なので、国会図書館と協定のある公共図書館とか大学図書館の端末からしかアクセスできませんが、日本国内だとさほど難しくありません。ただ、韓国など国外からはできないようです。いろいろなデジタル資料を公開している韓国とは対照的です。
        「熊本利平」については資料的にはいろいろありそうです。ご参考まで。

        返信
  8. 一松
    2018-08-19

    厚岩洞(というより、吉野町とか三坂通)について検索していて、ひょんなことから(検索キーワードをよく覚えていない….)このサイトにたどり着きました。
    まだ、このサイト全てを熟読させてもらったわけではないのですが、私にとってとても有益なサイトだと感じました。本来なら、全部を読み終えてからコメントした方がいいのでしょうが、いてもたってもいられず、とりあえずコメントします。
    私の母方の祖父母は、引き揚げまで京城に住んでいました(父方の祖父母も20年以上京城在住でしたがそれはまた別の機会に)。母方の祖父母は1910年の併合前に京城に渡り、本町5丁目にいました。その後は、木浦、長興で暮らし、私の母は長興の南洞里127番地で生まれました。叔父(母の兄)は南洞里に移る前の長興の汭陽里の林業試験場の官舎(現在の長興西初等学校の南側だと思われる)で生まれてます。
    このブログにアップされている長興訪問記事の2年前、2013年に私は初めて長興を訪れ母が生まれた家を見てきました。韓国様式に改装された家になっていましたが、周辺の状況は祖母や叔父が書き残した風景そのものでした。その翌年にも長興を訪問して祖父母に関する情報を、当時を知るご老人(といっても私も老人なのですが(^^))から得ることができました。耽津江の西側に残る日本家屋も外観だけはいくつか見せてもらいました。
    そうした長興訪問の際の情報のやり取りの中から、日帝時代に長興の最大の旅館だった「いろは旅館」の経営者大神丈吉のお孫さんとも連絡がとれるようになりました。
    私の祖父母は、1928年に長興から京城の吉野町1丁目38番地(現在はパーキングスペースになっていますが、裏手には日本家屋が残っています)に移り、その後日本の敗戦までは漢南町(現在のUNビレッジ、当時は華鏡台という新興宅地だった)で暮らしてました。
    というようなことを調べていたところで出会ったこのサイト、とてもいいです。
    また今後いろいろなことを教えてもられたらと思っています。よろしくお願いします。

    返信
    1. liumeiuru
      2018-08-20

      一松さん
      はじめまして。拙ブログに訪問いただきありがとうございます。
      大変貴重なお話をたくさん伺い、ブログを運営していてよかったという喜びでいっぱいです。

      ご祖父母の記憶から訪ねる長興の風景は、わたくしが見ることができる何かを超えた大変興味深いものとお察しします。
      こちらのブログはあくまでも趣味で、専門的学術的正確さを欠いたものですが、少しでもお役に立てられればと存じます。
      そして、よろしければ一松さんがお調べになったことを聞く機会があればよいなと願うとともに、今後ともいろいろご教示いただければ幸いです。
      よろしくお願いいたします。

      返信
  9. 一松
    2018-08-20

    レスをありがとうございます。
    ご存知かもしれませんが、『京城精密地図』というのが東京経済大学のリポジトリで公開されています。
    http://repository.tku.ac.jp/dspace/bitstream/11150/3276/1/index_3075.djvu
    djvuファイルなんですが、https://djvu2pdf.com/ja/のサイトとかでPDFに変換できます。この『京城精密地図』と『大京城精図』『大京城府大観』などを見比べながら1930年代の京城のイメージを作っています。

    そうそう、漢江マンションが建て替えという記事を読んで、あわてて検索したました。もう今頃は取り壊しになっているかも知れませんね。30数年前に37棟に住んでいたので、なんとなく寂しいです。横にあったウェインアパトゥも、向かいのミニョンアパトゥもなくなっちゃったし。。。。「28棟をのぞいて」というのが気になります。28棟はカンビョン道路側の一番広い50坪チャリなのですが、最後まで頑張るってことですかねぇ。最後まで頑張りそうな知り合いが28棟にまだいるはずなんですが(^^)

    ときおりソウルを徘徊してますので、機会があれば是非。

    返信
    1. liumeiuru
      2018-08-27

      一松さん

      ご教示ありがとうございます、大変ためになります。

      さて、漢江マンション居住のご経験がおありなのですね。その頃の東部二村洞の様子なども大変興味があるとともに、
      その時代にソウルにいらしたことが心からうらやましいです。この間東部二村について少し調べたので大変面白かったです。

      漢江マンションの建て替えはいつくらいから始まるのでしょうかね、引き続き注意したいと思っております。

      返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です