狎鴎亭洞

ソウルは市の中心を漢江が横切るように流れており、南北に隔てられた地域はそれぞれ江北(カンブク)、江南(カンナム)と呼ばれています。以前紹介した駅三洞(ヨクサムドン)に引き続き、今回も江南にある町を紹介いたしましょう。狎鴎亭(アックジョン)は現在も高級住宅地として、そして高級ブランドのお店や高級デパートであるギャラリア百貨店や現代百貨店などが集まる場所として知られています。また、美容整形外科の病院が軒を連ね、海外からも多くの観光客が集まるところでもあります。

狎鴎亭洞の由来
狎鴎亭は名前からも推測できるように、亭、つまりあずまやがあったことが地名の由来です。朝鮮王朝前期、15世紀後半の権臣韓明澮(ハン・ミョンフェ)が、自らの号である狎鴎亭というあずまやを現在の狎鴎亭洞に建てました。韓明澮は娘二人がそれぞれ朝鮮八代王睿宗の妃、第9代王成宗(ソンジョン)の妃となり、外戚として王朝の実権を握った人物として知られています。狎鴎は「名利を捨てて鴎と親しみ、風流を楽しむ」という意味ですが、権力と贅をほしいままに生活し、宴を開く時には地方の首領たちが贈り物を手渡すために列を成したといいます。しかし、王の行幸の際に使われる龍と鳳凰の文様が入った雨天用テントを使臣の身分でありながら使用したため、調子に乗りすぎていると王の怒りにふれ、官職を奪われてしまいました。

朝鮮時代後期は政治家朴泳孝(パク・ヨンヒョ)の所有でしたが、甲申政変(1884年12月4日に朝鮮で起こった急進開化派によるクーデター)で逆賊となり、狎鴎亭は没収・破壊されたといいます。狎鴎亭がソウル市に編入したのは1963年、その時は城東区(ソンドング)でした。1975年に江南区狎鴎亭洞になりました。
あずまやのあった場所は漢江の堤防とマンション建設でなくなり、今では跡地を知らせる碑がマンションエリアの中にあるのみです。しかし、狎鴎亭の位置は現在の聖水大橋(ソンスデギョ)の南端あたりではないかと推測されています。興味がもしおありでしたら、狎鴎亭現代五次アパートの74号棟あたりにある碑を探してみてください。

アパート内にある碑

1970年代から本格化した開発
地図を見るとわかりますが、狎鴎亭は漢江に面しています。昔は毎年のように水害が起き、安全に住めるような場所ではありませんでした。ソウルの中心地から離れた田舎の狎鴎亭には、17世紀後半から18世紀後半に活躍した画家謙斎(キョムジェ)鄭敾(チョンソン)が描いた絵のような風景が1960年代にも広がっていたそうです。急激な変化は1970年代からの江南開発とともに始まりました。まずは漢江沿いの道路建設です。漢江の洪水を防ぐための堤防とその上に江辺道路が造られたのですが、1971年8月に第1漢江橋から狎鴎亭洞にかけて江辺5路、狎鴎亭洞からソウル北東部千戸洞(チョノドン)にかけて江辺6路区間が完成。道路の完成で水害はなくなり江南の開発が進みました。

1968年には漢江沿岸の大規模な埋め立てが始まり、現在の狎鴎亭現代アパート(韓国ではマンションのことをアパートと呼びます)村の敷地となりました。狎鴎亭洞一帯の丘は削られて埋立の土に使われ、貯水池は埋められました。
2007年9月15日付の中央日報インターネットニュース記事に、現在の現代百貨店と現代アパート78棟あたりに約5000坪の梨畑を所有していた方の話が出てきます。イ・ユンヒョン氏は1973年に1坪あたり1万6千ウォン(約1600円)で土地を売却し、京畿道(キョンギド)華城(ファソン)市に移住、そこでまた梨畑を始めました。2007年9月基準では売却した土地の値段が約4000億ウォン(約400億円)だそうです。イ・ユンヒョン氏は後悔はまったくしていないといい、質のよい梨の生産で結構な売り上げを出しているとにこやかにインタビューに答えていました。

 


現代百貨店付近の現在の様子

現代アパート村には約6千世帯のアパートが建設されました。35坪から60坪まで余裕のある広さのアパートに富裕層の人々が次々と入居していきました。江北(漢江より北部)の名門校が次々と江南に移るのに合わせて、教育熱の高い人々も続々と集まってきました。

オレンジ族、ロデオ通り
1990年代に入ると、70、80年代に経済的に成功した新興富裕層の両親のもとで育った子供たちの消費行動やライフスタイルが、一種の社会現象になりました。彼らはブランド品を多く持ち、外車を乗りまわしてナンパするなど性や男女交際に対して開放的な考え方を持つ刹那主義者として定義されました。1988年、ソウルオリンピック開催の年に一般人の海外旅行が自由になったのもあり、新興富裕層の子供たちの中にはとりあえずアメリカなどに留学して、国内でよい大学に行けなかったことをカバーするようになりました。留学先で覚えた麻薬やギャンブルを帰国後も行い、そのような乱れた様子の彼らを当時のマスコミはオレンジ族といって若干否定的に取り上げ、人々の関心を引きました。オレンジの皮をむいたら中は白い(中身がない)、当時輸入オレンジは高価な果物だったので留学帰りをそのように呼んだなどオレンジ族の由来については諸説があります。

日本でも50年代から太陽族、60年代にはみゆき族、70年代にはアンノン族、80年代は竹の子族と当時の若者の一定の集団を○○族と呼びましたが、韓国でも同じなのですね。狎鴎亭現代アパート前には80〜90年代にかけてロデオ通りというファッションタウンが形成され、高級ブランド店が並ぶようになりました。ロデオはアメリカのビバリーヒルズにあるファッションストリートのロデオドライブからつけられたもの(ちなみに、ソウル市内ではアウトレット商品の店が並ぶ通りにロデオとつけられたところが多いですが、狎鴎亭のロデオ通りが元祖的存在です)。狎鴎亭マクドナルド前と言えば有名な待ち合わせ場所でした。狎鴎亭の目抜きストリートにあったマクドナルドの場所に、ファーストファッションブランドの店が入った時人々は大変驚いたそうです。

1993年に詩集『風の吹く日は狎鴎亭に行かなければならない』を発表した詩人のユハは、映画の監督もつとめました。映画から当時の狎鴎亭の様子や空気感を垣間見ることができます。90年代のディーバとも呼ばれるオム・ジョンファはこの映画に出演し、「ヌンドンジャ(瞳)」という曲でデビュー、その後スターになりました。

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2000年以降はオンラインショッピングの普及、すぐ隣の新沙洞(シンサドン)にカロスキルと呼ばれる新たな商圏の登場、若者が遊ぶ場所がソウルのあちこちに拡散したことで、狎鴎亭は急激に求心力を失っていきました。賃貸料も2010年代になると、最盛期より30パーセントほど下がり空き店舗も目立つように。かつての賑わいは見られませんがそれでもハイソな街としての雰囲気は健在です。現在は、新沙洞と共に美容整形外科病院が軒を連ね美容整形のメッカと呼ばれています。海外、特に中華圏からの観光客が美容整形手術を受けるために多く訪れており、街のあちこちで絆創膏や包帯をした患者さんを見かけます。

 

■おすすめのスポット

シンミ食堂
少々年季の入ったビルの1階にあるカムジャタン(じゃがいもと豚の背肉のスープ)のお店。薄暗い店内は時代を感じさせます。地元の人たちに愛されるお店で、料理が出る前にタッパーに入ったおかずが四種類、食べられる分だけ自分で取り盛りつけます。にんにくのコチュジャン漬けとヨルム(大根の葉)のキムチが人気です。濃いめのスープに大きな豚の背肉が入っています。



一杯の思い出

こちらも地元の人たちに愛されている昔ながらのお店。いつも多くのお客さんでにぎわっています。一杯の思い出(ハンジャンエチュオク)を縮めて「ハンチュ」という店名になっています。往年の歌手イ・ジャンヒの歌にも登場する飲み屋さん。フライドチキンと唐辛子のフライが人気メニュー。ハイファッションタウンにも、このような庶民的な雰囲気のお店があるのかと思うと、なんとなくほっとします。



AndAZ

「AndAZ(アンダズ)ソウル江南ホテル」は、地下鉄三号線狎鴎亭駅3番出口を出てすぐのところにあるホテル。2019年9月にオープンしました。ブルーボトルコーヒー狎鴎亭店、TWG狎鴎亭店なども入店しています。心地よい雰囲気のラウンジ風カフェ「AndAZ」では、甘味を抑えた大人の味のするタルトなどが楽しめます。


■シンミ食堂(신미식당)
住所:ソウル特別市 江南区 狎鴎亭路214
서울 강남구 압구정로 214
電話番号:02-516-4900

■一杯の思い出(한추)
ソウル特別市 江南区 論峴路 175キル68
서울 강남구 논현로175길 68
電話番号:02-541-0969

■AndAZ
ソウル特別市 江南区 論峴路 854
서울 강남구 논현로 854
電話番号:02-2193-1234