会賢洞・ある家の前で

地下鉄4号線会賢(フェヒョン)駅を出て路地を一本入れば、いかにも日本家屋ぽく見える建物が次々と目に入ってきます。南山(ナムサン)の麓、会賢洞一帯はかつて旭町(あさひまち)と呼ばれていました。

 


 

路地をふらふらと歩いていると、この建物に目が止まりました。いろいろ手が加えてありますが、ベランダであっただろう空間、出窓と玄関の位置などからおそらく日本家屋だったのだろうなあとずっと眺めていると、後ろから声をかけられました。

「どこ行きたいの?何探してるの?その先は行き止まりだよ」

びっくりして振り向くと、家の向かい側の草木の茂みに椅子が二脚置いてあり、杖を持ったハルモニ(おばあさん)が座っているのが見えました。あんまりにも草木、花と一体化(紫の地味な花柄の上着を着ていたのもあって)していたので、はじめはどこから声をかけられたのかよくわかりませんでした。

いつものように(?)、自分は古い家を見て回るのが好き、街の歴史に興味があること、不快に思われることもあるかもしれない、必要に応じて写真はすぐに消す準備はできているなど話すと、手招きをちょいちょいとして、

「もっとこっちきて、大きな声で話して、なんだって?探してる家はないって?」

ハルモニのすぐ近くまで行き、この家はとてもいいと思うがハルモニが住んでいるのかと聞きました。

あたしの家じゃないよ。

目の前にある家は一階だけに人が住んでいること、二階は人が入らないので荷物置き場のようになっていると。あんたが行こうとしたところは行き止まりになっているからそれを教えるために声をかけたのだと。
あんた韓国人じゃないね?というので日本人だと答えると、ハルモニの身の上話が始まりました。
日本生まれ、3歳の時に解放(1945年)を迎え半島に戻り、おばがソウルにいたのでそこに身を寄せた。若くして結婚、娘と息子が生まれる。夫は26歳くらいのときに交通事故死、女一人で子どもたちを育てた。大変だった。いろいろあって息子は家を出て行ってしまった。今生きていれば56歳。一生懸命探したけれど見つからない。娘とはたまに会うが、今は一人暮らし。

どういう縁で日本に行ったのだろう、彼女の両親は。1960年代後半シングルマザーとして子育て、どんな仕事をしていたのだろう。そしてどういう流れでこの町で一人暮らしをし、日向ぼっこをしているのだろう。いろいろ聞きたかったけれど彼女の耳は遠い。

 

 


 

 

私、ハルモニの家見に行ってきますね、とその袋小路に入ってみました。

 

 
驚きました。三角屋根のいかにもの日本家屋(とここでは呼びます)。装飾的な小さな三角屋根が二つ。二階は住める状態ではないそうで、放置しているとのことでした。

いやはや、ハルモニの家素敵ですね、写真撮りました、ありがとうございますとお礼を言うと、せっかくなんだからあたしの歌を聴いていきなさいと手首をつかみました。
日本の歌だよ、と。

〝雨が降る〜○@#$$%わたしは〜○@#$$%&%%$〜〟

何の歌か、どこで覚えたのか…
私の言葉はハルモニにはおそらく二割も届いていないかったかもしれません(ようは人の話はきかないし、聞こえない、それでも全然よいのです、ハルモニの話を聞きたかったし)。

日本語だけれど日本語ではない不思議な言葉。
ハルモニの口から次々と出てきては、会賢洞の路地裏の、灰色の空へと消えていきました。